ブログ版 マイルスとの2時間 3

画像

ずいぶん間があいてしまったが、第3回目をアップする。写真はマイルスがマリブに移った後にNYで生活拠点にしていたセントラル・パークWESTのエセックス・ハウスで撮影されたものだ。ぼくはこの写真をみるたびに、初めてマイルスの家に行った時のことを思い出す。FM局のスタッフに、外の写真だけでも撮りたいから連れてってよと言われて、住所を頼りにウエスト・サイドに向かった。瀟洒な建物を探し当て、入り口にズラリと並ぶ郵便受けを見ていくと、あった!小さく「DAVIS」と書かれた紙が張られていた。カメラマンが「ほー、これがマイルスの郵便受けかと思うと、なんかありがたい感じがするねえ」と笑った。そして、外から建物を撮影しているとバルコニーに人影が動いた。「あ、マイルスだぜ」っとプロデューサーが勝手に決め付けて興奮していた。人をそんな気分にさせるのはマイルスくらいしかいないだろうな。さて、第3回だ!


“帝王”マイルスにインタビューしないかと誘われたのは、1987年春のことであった、“ライブ・アンダー・ザ・スカイ”の10周年を記念してニューヨークでパーティーが催されるので、その前後に出演予定のマイルスと話が出来るというのだ。ぼくは雑誌の編集者にひとつだけ注文を出した。もし、マイルスと会えて、その場でインタビューが嫌だったら、テーブルをひっくり返し“約束が違う”といって暴れてもよいか、と聞いた。すると「よい」と言うのである。おそらくその若い編集者はメディアに対しては偏屈なマイルスの性格も、ぼくのリスキーなインタビューのやり方も考えず、単なる冗談だと思って「よい」と答えたのだろう。しかし、相手はあのインタビュー嫌いでは定評のあるマイルス。だがこちらだって、インタビュアーとしてのプライドをマイルスの存在と音楽によって教え込まれた偏屈なジャーナリストだ。どんな展開になるか、予断は許されないのである。
ぼくは敢えて質問を用意することをやめにした。(もちろん、インタビューの少し前に長いブランクを経てカムバックしたマイルスの復活コンサートはNYで聴いていたし、その後に発表だれたアルバムも聴いていた) マイルスの音楽、いや全ての音楽がそうであるように”アズ・タイム・ゴーズ・バイ”というスタイルでコミュニケーションがとれれば、インタビューとして最高の結果が出ると確信していたからだ。アメリカに渡る10日ほど前に、アメリカの知り合いにマイルスにインタビューすることになったと言うと、
「そりゃあ楽しみだ。キミのアンユージャルなインタビュー・スタイルに、あのマイルスがどう反応するかとてもインタレスティングだね。早く結果が知りたいな。彼と話すのは初めて?だったら、ひとつだけアドバイスをあげよう。マイルスってあんな性格だけど、気に入った人と話をするのは好きなんだ。それと意外にも、お土産をもらうと子供みたいに喜ぶんだよ。じゃあ、グッド・ラック!ククク」
と興味津々といった様子であった。この知り合いとはハービー・ハンコックである。

ぼくは午後1時30分、滞在していたパーカー・メリディアン・ホテルのロビーで、プロモーター側のコーディネーター、そしてアメリカ人女性の通訳と待ち合わせた。ロビーに降りると、エレベーターの前でウエイン・ショーターに出くわした。彼は夕方から行われるパーティーのためにホテルにチェックインしたところであった。これからマイルスのインタビューなんだと言うと、ウエインは急にニヤニヤして
「ほう、そりゃあビッグ・ビジネスだねえ。でも、いつもぼくと話してるように話せばいいんだよ。流れにまかせてね。マイルスが機嫌よく話し出したら、気に入られたってことだから、好きなだけ話させればいいのさ」
と好意的なアドバイスをくれたのだ。最近のマイルスは前にもまして声が出なくて、言葉が聞き取り辛いから通訳を頼んであるんだと言うと、そりゃあ困ったという顔になった。ところが若い白人女性だとわかるや、
「OK,OK! よいアイデアだ」
ときた。ウエインもマイルスもミュージシャンなのである。さあ、行こうかというと、コーディネーターは
「ちょい待ちです。インタビュー時間は1時間、2時前には絶対に部屋に来るなって言われてるんです。1秒たりとも前に来るな、来たらインタビュー受けないぞ、って。こういうところがマイルスらしいですよねえ」
と笑うので、5分ほど立ち話。そこで通訳の女性が話す日本語を聞いて、ぼくはちょっと気が滅入ってしまった。彼女にマイルスの話を訳してもらったら、5時間のインタビューでも足りないかも知れない。まあ、なんとかするしかないだろうな。

指定のインタビュー場所であるエセックス・ハウスに着いたのは2時5分前。
「復帰後のマイルスはアルコールもタバコもやめてて、特にタバコはダメです。もし、すいたかったら今のうちに」
というので、ゆっくりタバコをすって2時5分過ぎにエレベーターに乗る。部屋の前に着いた。ドアをノックする。
「Yes!」という声は、マイルスのしわがれ声ではない。ドアが開き、ぼくらはスイート・ルームのリビングに通された。ピーターと言う名前の白人(ピーター・シューキャット=当時、マイルスのマネージャー役をやっていた弁護士)は、
「いまちょっと作業中なんで、ソファに座って待っててよ」
と言っている。どうやらマイルスは奥のベッドルームにいるらしく、誰かと電話で話をしているようだ。
「ピーター、ピーター、レッツ・ゴー!」
という、あのマイルスのだみ声が聞こえてきた。ピーターはあわててりビングの窓際に置かれた電話機に飛びつき、受話器をラジカセのマイクに近づけている。なにやら録音しているらしい。3分ほどラジカセを回していると、ベッドルームからマイルスが出てきた。ぼくらのことは見もしない。ラジカセの前に立つと、
「よし、再生してみろ」
とピーターに指示する。だがラジカセのスピーカーからは殆ど音が出ない。
「もう1回だ!」
マイルスは再びベッドルームに入る。同じ作業をもう一度繰り返すが、結果は同じだ。ピーターが困り果てた表情で呟いた。
「実は、デモテープの演奏を電話で受けてるんだけど、ダメなんだ」
こちらのコーディネーターが偶然、テレフォン・ピックアップを持っていたのでそれを貸すことになった。当然、3度目はうまくいった。再生してみる。ファンキーなリズムにのってメロディが鳴り出した。奥から“帝王”が姿を現わし、ビックリしてラジカセの音を聴いている。
「ピーター、一体なにがあったんだ?」
「彼らから機材を借りたんです」
「オー、ヤー?」
初めてマイルスがぼくらを見た。目と目があった。コンサート会場のステージの袖以来だ。あの時のぼくは何も言わなかったが、今回はインタビュアーである。気の利いた言葉のひとつくらいは言わなくてはなるまい。ぼくはマイルスの目をじっと見ながら言った。
「ジャパニーズ!」
3秒ほど無表情にぼくを見つめ、視線をラジカセに移す。
「シット!」
出た。マイルスは健在だ。彼は誰に言うともなく、説明を始めた。
「この演奏はジョン・ビガムが作ったデモ・テープなんだ。やつに何曲か作ってくれって頼んだんだけど、やっと出来たのさ。おれはマーカスとも、いつもこういうやり方でやってるんだ。プリンスともな」
意外な名前がマイルスの口から出た。
「プリンス?」
「そうさ、プリンスさ。それがどうしたってんだ」
こんなに早く、マイルス18番の口癖”So What"(それがどうしたってんだ)が聞けると思っていなかったぼくらは、思わず顔を見合わせてしまった。ドラマのオープニング・パートにしては、あまりに出来過ぎのストーリーじゃないか。






"ブログ版 マイルスとの2時間 3" へのコメントを書く

お名前
メールアドレス
ホームページアドレス
コメント