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zoom RSS <ジャズを生きる>古澤良治郎・その1

<<   作成日時 : 2009/06/02 13:48   >>

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古澤良次郎というジャズ・ドラマーをご存じだろうか。1969年、今は亡き本田竹広(p)グループのドラマーとしてプロのキャリアをスタートさせて以来、マイペースかつマイウェイで日本のジャズのライブ・シーンを生き続けている個性的な存在である。
80年代のある時期、数年間にわたってぼくはこのドラマーと偶然に濃密な時間を持つことになった。Lee Oskar、WAR、峰厚介、川端民生、広木光一・・・そして古澤本人、単純に語ることのできないこのミュージシャンたちとの、辛くも楽しい日々は彼がもたらしてくれたのだ。

1983年、古澤良治郎はそれまでの音楽活動を集大成するリサイタルを催した。このドラマーに惚れ込んでプロデュース&マネージメントを続けてきた川村年勝から原稿の依頼が来た。
「プログラム替わりに小さなブックレットを作ろうと思ってるんです。古澤さんの素晴らしさとか、リー・オスカーとのコラボとか、ファンの人たちやこれから日本でジャズの仕事をやろうと思ってる人に、やろうと思えば出来るって教えたいし、それがミュージシャンだけじゃあなくてジャズの場を作っていくすべての人にとってそうなんだって示したいんです。原稿用紙100枚くらいあれば書けるでしょ? 頼みますよ」
そうして出来上がったのが「良治郎ブック」であった。先日まで、ぼくはこのブックレットの存在すら忘れていた。ところが突然送られてきた小包から「古澤ブック」とその生原稿が出てきたのである。これを保存していてくれたのは、長年にわたって川村をサポートしてきた渡辺徹。せっかく入学した早稲田を数カ月で捨てて川村のアクト・コーポレーションに転がり込んだ男で、現在は「林泉」で渋谷毅、坂田明、吉野弘志、広木光一らをサポートしている。
20年ぶりに「古澤ブック」を読んで、これはマイルスのインタビュー(うーん、最終回がアップされてない!)のようにこのブログに収めてもいいな、と思い始めたのである。
音楽とその流通がダラダラと崩れて行っている今こそ、川村が熱く語ったようにその素晴らしさ、楽しさを伝えなくてはならないのだ!


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                 古澤良治郎 ’79〜’83
    (古澤ブックより転載=京都で病と闘っているTorigenさんに捧げる連載)

西武新宿線の急行が高田馬場に近づくと、ぼくは読んでいた本をバッグの中に戻すことにしている。終点の新宿までの数分間は、住宅街から歓楽街へと急激に移り変わる車窓越しの風景をぼんやりと眺めるのだ。それは、目的地である新宿・ピットインでそろそろ始っているはずのジャズを聴きに行くことに対する、一種の準備運動のようなものだといえよう。歌舞伎町のけばけばしいネオンが見え出すころには、それまで没入していた活字の世界がスッと消え、頭の中に音楽のイメージが広がり出す。電車を降りて、歌舞伎町の大通りを渡ったピットインまではゆっくり歩いても5分ほどの距離だというのに、知らず知らずのうちに早足になってしまうのが不思議だ。
考えてみれば、ぼくは学生時代からこの新宿の雑踏のなかに“何か”を見つけようと足を運び続けている。以来、20年ちかくになるのだ。その“何か”とは、時には友だちとの会話がもたらしてくれる確認であったり、街そのものであったり、あるいはジャズであったりというように、ぼくがある確かな意志をもって明日をむかえるための栄養源のようなものだった。60年代の後半から70年代の初頭を東京で過ごした者にとって、新宿という街は暖かな場所であった。夜も昼もなくこの街をうろついて、明日への確かな手触りを感じ取ろうとしている若者を優しく迎えてくれたからだ。多くの友人たちはとうに試行錯誤を終えて、体制と秩序のなかに安住のスペースを確保しているというのに、ぼくは現在もこの街で彷徨を続けている。なんとも不器用な選択だが、ジャズの現場であるピットインにはぼく以上に不器用な人々が集まっているのであった。

ピットインの狭い階段を下りて行くと、ドアを通して古澤良治郎バンドの演奏が響いてくる。
「今日は遅いですね」
レジ・カウンターの中から桜井修一が声を掛けてくる。
「どう、今日の演奏は?」
と聞いてみる。
「うん、先月よりまとまって来ましたね。峰さん(厚介)が先月からゲストで入ったでしょ。初めは遠慮しながらやってるような所もあったけど、やっと言いたいことを遠慮しないで言えるようになった、って感じかな」
なんとも的確な観察である。仕事柄、と言ってしまえばそれまでなのだが、1枚のレコードや、1回のコンサートだけでミュージシャンを判断してしまわない暖かさが、このライブハウスのスタッフに共通した特色なのだ。
“もし今日の演奏が何らかの理由でダウンしたとしても、来週か来月か、良い演奏を聴かせてよ”という、音楽を作っていくもの同士の家族愛のような感覚がこの空間には確実にある。ぼくが新宿で、ピットインでジャズを聴き続けているのは、こうした雰囲気に安堵をおぼえるからなのだろう。

暗い店内に慣れてきた目を客席の後方に向けると、日本のジャズ・イデオローグのひとりで詩人でもある奥成達が、珍しく身体を揺すってリズムをとっている。視線があう。ニコニコしながら、こちらに歩いてくる。
「凄いネ、最近の古澤さんは。リズムがしっかりしてるし、熱いよ」
彼は商業ジャーナリズムやレコード会社が作る、いわば虚業としての音楽流通から大きく外れた位置にいる人間だけが持つ鋭い直観力と、創造性に対する判断基準を備えた人といえよう。ぼくが信頼する数少ない“耳”のひとりなのである。そんな奥成達に、
「いやあ、なんでこのごろ“古澤!”っていう人が多いのかわかったよ。オレはさ、古澤さんがやってるような音楽を聴くと、なんとなくモゾモゾしちゃって、自分が恥ずかしくなっちゃったりしちゃうんだけど、思い切って聴いてみると、これがいいんだよね。川村さんや池上クンが古澤っていうのがわかったような気がするね」
と言われた時、ぼくは自分の過ごしてきた古澤良治郎との3年間の意味を、改めて振り返ってみようという気になり出したのであった。

(〜次回に続く)

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内 容 ニックネーム/日時
リスナーの世界をそっと抜け出して、musicianの端くれになった今、お金が目的でなく一番に音楽が好きでやっておられるお店のオーナー&スタッフ、プロデューサー、etc.の演奏者のバックで現場をささえている方々の貴重さが身に沁みてわかります。東京でLIVEをしたことはありませんが、いつも話されるピットインは素晴らしい場所なのだろうなぁ、と想像しています。前回のポストで話に出た阿部さんは、毎週大阪梅田のライブハウスで自分プロデュースの曜日を持っておられ、(まだお邪魔したことはないのですが、LIVEをやっているかもわかりませんが)そのタイトルが『JAZZ by あべのぼる imspired 新宿Pit inn』で(mはnの打ち間違いでしょうか)、これはおそらく新宿ピットインにインスパイアされて、という意味だと思っています。…古澤良治郎ファンのtorigenさんが大喜びすること間違いナシの新連載、また続きを楽しみにしています。
chi-B
2009/06/03 00:49
ぼくの連載はどれもこれも途中で止まっています。まるで、自分の人生みたいです。
Toriさんのところに載せていた「Time with WAR」もストップしたままです。
Toriさんが宇宙から帰還したらすぐに再開できるように準備をすすめようと
思ってます。
この25年も前に書いた原稿を読んでいただければ、当時どのように日本のジャ
ズが転生していたかとか、ピットインが続いていることの意味を垣間見ていた
だけるんじゃないかな。
IKEGAMI
2009/06/03 12:03

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