On The Road with Chick Corea<2>

<1>で書いたように、ひょんなことからチック・コリアとのプライベートの付き合いがスタートした。ぼくのコンサート評は日本の雑誌に載ったもので、もちろん英文ではない。どうして内容がわかったのか不思議だったのだが、後日その理由を日本レコード会社のA&R(アーティスト・アンド・リレーション。日本では普通、ディレクターと呼ばれている)から聞かされた。チックの要望で、彼について書かれた主な記事を英訳して送っていたのだ。
チックが「自分について書かれた記事で最も面白かった」と言ってくれたぼくの記事は、彼にとって「面白い」かもしれないが「嬉しい」ものではなかったろう。人は誰でも単純に褒められたいものだ。ミュージシャンの多くはこの思いを強く持っていて、自分の音楽について否定的なことを言われたり、書かれたりすると、だいたいは心を閉ざす。それが客観的にみて正しい指摘であってもだ。山下洋輔の有名な言葉がある。
「音楽を出す側は、それについて語る人間に本能的な悪意を持っている」
だが、チックは反対のタイプのミュージシャンであった。彼は言う。
「音楽家がもっともナーバスになるのは、自分の音楽が生まれる核の部分を理解してくれているかどうかなんだよ。その理解が外れている人に褒められたって、嬉しくなんかない。あー、こいつ分かってないなあ、と思うだけ。だからきみのコンサート評を読んだ時は、どうしてぼくの心の中まで見ているんだろうと、不思議になったんだ。で、話してみたいと思ったわけさ」

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               (若き日のチックと帝王・マイルス/official webより)

そして、モーツァルトのピアノ・コンチェルト曲を推薦して以来、彼からちょくちょく電話がくるようになった。武満のレコードを持ってたらコピーしてくれ、エリック・サティを弾くピアニストでいいのは誰、という具合でこの頃のチックはかなりクラシック音楽に関心を持っていたので「ぼくじゃあ役不足なので、もっと詳しい人を紹介しようか?」と言ったくらいだ。
やがてチックは京都に1か月ほど家を借りて、オリジナルのピアノ・コンチェルトを作曲することになった。2週間ほどして電話がきた。
「ちょっと煮詰まったんで、休みを取りたいんだ。京都に遊びに来ない? でさあ、奈良に連れてってよ。奈良に行かずして日本の伝統を語るな、って言ったんだから責任とってよ」

1月の寒い週末だったような気がする。チック、ゲイル夫人、ぼくの3人は奈良市内を歩き、斑鳩の里へ。法隆寺境内で「うん、ここを見ないで日本の伝統はなんて言っちゃあいけない気がしてきたよ。GAMMY(ぼくのこと)は正しい」と笑うのだった。
京都に戻ると雪がちらつき始めていた。リビング・ルームのストーブを囲んで、楽しい会話が深夜まで続いた。
「GAMMY、なにか音楽イベントに関わってるんだって? どんな内容なの」
とチックが聞いてきた。ぼくはその夏に2回目となる屈斜路湖ジャズ・フェステイバルのことを説明した。企画者からチックと山下洋輔のピアノ・デュオが可能か打診してほしいと言われていたのだ。チックはその頃、山下洋輔の音楽に強い関心を持っていた。
「山下の音楽は面白い! セロニアス・モンクを聴いている時に感じるのと同じ刺激があるんだよ。個人的にはやりたいな。だけど、夏はもうスケジュールがかなり決まっちゃってると思う。明日、オフィスにスケジュールを聞いてみるよ」
結果的には、日程がダブっていて不可能だったのだが、このイベントをめぐってさらに興味深いハプニングがあった。ぼくの個人的な望みは「スリー・ピアニスト」というもので、チック・山下にクラシック・ピアニストのフリードリヒ・グルダを加えた3人のステージだと言うと、それならグルダ本人に聞いてみようと、チックはすぐに電話機に手を伸ばした。彼がグルダと仲が良いことは知っていた。だが、まさかその場で電話するなんてことは想像もしていなかった。
「グルダはねえ、プロモーターとかビジネス・ライクなマネージャーと話をするのが大嫌いなんだ。音楽家同志で内容本位に進めたほうが、話が早い。んーと、番号は・・・」
待ってくれ、これはぼくの個人的なアイデアで、もしOKだとしても予算の問題もあるし、無責任に進めることはできない。使える予算を考えると、一人分の航空券ならなんとかなる。そこで、瞬間的にアホなアイデアが閃いた。
「もし、演奏家として招聘できる予算がとれなかったら、聴きに来てくれないかなあ。一人分の航空券は出すから。ただし、ポスターに<フリードリヒ・グルダ(聴衆)>って入れさせてもらいたい!」
チックはこのアホなアイデアに大乗り気。
「そりゃあ、面白い。グルダはそういう発想が大好きなんだ。よし、電話しよう」
と、ウィーンに国際電話をかけてグルダ本人と話し始めた。
「GAMMY, 面白い、最高、って言ってるよ。詳しく話してみなよ」
ウィーンのベートーヴェン弾き(当時はグルダは、バッハ、ドビュッシー、ラヴェル、作曲家グルダ以外をコンサートで弾くことはなかった)はゲラゲラ笑いながら、
「そういうことを考える人間がいるだけで楽しいよ」
と言ってくれた。だが、グルダもすでにヨーロッパのコンサートがブッキングされていて、前代未聞のポスター・クレジットは計画だけに終わることとなってしまった。


早くこの話を読んでいただきたいので、ここでUPすることにしよう。
Roadの楽しい話、真面目な議論は<3>をお待ちいただきたい。

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この記事へのコメント

chi-B
2008年11月11日 01:56
15日のLIVEへ向けて、機材チェック&ミニ・リハーサルを終えて、夜中に帰ってきたら続きがアップされてて、喜んで読ませていただきました。あったかい、素敵なエピソードでした。私事ですが、帰り道でGさんに「いい時もダメな時も、私の投げる球をよけないで心の芯でパシッと受け止めてくれる人と出会えて良かったと思ってます。そうでないと、キャッチャーが居ないピッチャーみたいで、一人で投げてるだけでずっと寂しいままだったと思うから。」と話していた事とチョットだけ重なってるようなチックさんの言葉でした。日本の音楽業界で、IKEGAMIさんという面白くて頼りになる人と巡り合えた外国人ミュージシャンは、さぞかし楽しい時を過ごして、日本への好い思いを抱いてはるだろうなと思います。良い仕事して来られましたね。あ、GAMMYってナンだかかわいらしいですねぇ。。。続きも楽しみに待っています。LIVE頑張ってきます。(ケーブルテレビの撮影が来ることになりました。)ところで、Gさんは私の言葉に対して「おう。ガツーン!とイッパツ打とうや!」と返事してくれていました。:-]
masae
2008年11月11日 07:20
何て素敵な話!IKEGAMIさんと チックとこのような交流が有ったなんて。<3>を待っています。くどいようですがその頃の チックに逢いたかった!
IKEGAMI
2008年11月11日 20:59
お二人さん、励ましのコメントをありがとう。
<3>ではもう少しまともな音楽の話&アホな話を紹介したいと思ってます。

yasunoAICHI
2008年11月12日 00:09
なんて表現すればいいのか・・・
本物の心と心のやりとりだから、何年たっていても、そこに体温が感じられて
若かりし頃のIKEGAMIさんやアーティスト達のそばにワープする様な感覚になりました。
いいなぁ、こういう話。
2008年11月13日 21:16
帰国しました。

チック・コリアという人にはなんだか冷たい印象を持っていたんですが、IKEGAMIさんとの交流ぶりを読んでイメージが変わりました。

法隆寺とは渋いですね。東大寺にはある種の強大な政治権力を感じるのですが、法隆寺には仏教建築の優美さを感じます。斑鳩の雰囲気も良いですしね。奈良県民として感謝申し上げます。
IKEGAMI
2008年11月13日 22:30
asianさん、しばらくです。
インドは如何でしたか? うちの世帯主がインド・パキスタン語科なもんで、彼女は学生時代から何度も行ってます。ぼくを死ぬまでにはインドに連れて行くと言っていて、ぼくも行きたいのですが、デッカイ息子がいるもんで…。いま、masaeさん(大型犬飼育歴40年!)のうちに預ける策をめぐらしてるところです。
チックは全然冷たくないですよ。(サイエントロジー信者という問題はありますが)キースと比べたら、とても温かい。(キースは厳しいだけで、冷たくないですけど)でも、その温かさがウィーク・ポイントかもしれません。そのあたりは<3>で書こうかと思ってます。
ぼくは斑鳩が大好きです。なにしろファースト・ネームは万葉仮名。出典は中大兄皇子なんです。
2008年11月16日 14:15
インドは初めて行った頃(3年ほど前)と変わっていない様子でした。但し、インフラは徐々に整ってきている(大都市のみですが)かな。インドは日本の物差しでは測れない国です。

そうか、万葉仮名でしたか!

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