極私的ジャズ入門 2

前回に書いたように、ぼくはなんだかよく分らない「抽象的」な音楽としてのジャズに興味を持ったわけだが、誰もが知っているタイプのジャズのほうが聴いてて楽しい、という人もいる。むしろ、こっちのタイプのジャズ・ファンのほうが多い。一般的に言うならば、モダン・ジャズと呼ばれる1940年代半ば以降のジャズは小編成グループによる楽器だけの演奏が多く、それ以前のジャズはビッグバンドによる演奏か、ビッグバンドを従えたボーカルが多かった。

ここで、おさらい。ジャズにはいろんなタイプの演奏スタイルがあって、時代の流れとともに変化を続けている。「ジャズ」という音楽がはっきりした形で世間から認知されたのは、この前ハリケーン・カトリーナで水没しかかった町、ニューオーリンズで生まれた演奏のスタイルに人気が出てからである。19世紀の終わりから20世紀の初頭のことだ。このスタイルは「ニューオーリンズ・ジャズ」とか「ディキシーランド・ジャズ」などと呼ばれている。サッチモことルイ・アームストロングは、この町で生まれたから、このスタイルのジャズを聴きながら育ったわけだ。それ以前にもジャズの基礎となる音楽はあったのだが、歌舞伎でいえば出雲阿国の頃の芝居のようなもので、まあそんな歴史的なことを知らなくたって歌舞伎もジャズも楽しめるから割愛。やがて新興国アメリカの産業や商業の中心地は北部(中心はシカゴ)、東部(ニューヨーク)に移っていくのだが、歓楽街育ちの音楽ジャズは、金回りのよいそちら方面に中心地を変えることになる。当然、ミュージシャンも南部の町から景気のよい北部の町に移動する。そして、シカゴやニューヨークのナイトクラブ、ダンスホールで夜毎、楽しいサウンドを響かせるようになった。

この時代のジャズは「スイング・ジャズ」と呼ばれ、ベニー・グッドマンやグレン・ミラーのバンドが国民的な人気を獲得したのである。20年代から30年代にかけてがこのスイング・スタイルの絶頂期。こうした人気バンド・リーダーのほとんどが白人だったというと、ん、ジャズって黒人ミュージシャンがブァーとやる音楽じゃあないの?と疑問を抱く人もいると思う。まあ、待ちねえ。黒人ミュージシャンがジャズの最前線に躍り出るのは40年代の半ば過ぎなのだ。(スイング時代にもカウント・ベイシーとかデューク・エリントンという、すごい黒人ジャズ・ミュージシャンもいたけどね)

ひとつの音楽スタイルはどんなに人気があっても、長島さんにとっての巨人軍みたいに永遠不滅ってわけには行かない。一家に一枚宇多田ヒカルだって、あっというまに飽きられた。アユだって同じ道を辿ることだろう。音楽の聴衆なんて常に新しいスター、新しい音という刺激を求める無責任な存在なのである。だから、スイング・ジャズの爆発的人気だって、第二次世界大戦が終わる頃にはもう飽きられていたし、音楽的にもマンネリとなってしまった。ミュージシャンの側はというと、いつまでもちゃらちゃらした金持ちに同じ曲を演奏してあげたって、所詮はした金をもらえるだけ、それだったらギャラは安くたって自分にしか出来ない演奏をやりたいと思い始めてしまったのである。これが「ビ・バップ」(ハイスクールの名前じゃないよ!)と呼ばれるいわゆるモダン・ジャズが生まれる背景なのだ。
そこで、スイング・スタイルに飽き飽きしていた黒人を中心とする若いハネアガリたちは、営業が終わった後のハーレムのナイトクラブに集まり、夜な夜なセッションを行って腕を磨いたわけだ。最初は客から「こんな騒々しい演奏じゃ女は口説けないし、踊ることも出来ないじゃねえか」とクレーム続出。だが、この音楽を専門に聞かせるライブハウスもオープンし、次第にジャズといえば「ビ・バップ」と変わっていったのだった。
日本だって、ぼくが兄の同級生の演奏を聴き始めたころはライブハウス、ジャズクラブは少なくて、ミュージシャンはみんなキャバレーのステージで、半裸の踊り子さんのための音楽などをを演奏していた。そして、ステージの合間に自分たちがやりたいモダン・ジャズをちょこっとやらせていただく。何曲もやりすぎて首になることもしばしばで、江利チエミのヒット曲「テネシーワルツ」なんかをやるとドッとくるのだが、テーマからアドリブに移ると「知ってる曲をやれー」って怒鳴られる。要するに、知ってるメロディーじゃないとただの雑音としか思えないわけだ。なかにはレコードを聴いて曲を知ってるオヤジもいたりするのだが、そんな人に限って「兄ちゃん、テネシーワルツのB面やってくれよ」。だれもB面がどんな曲かを知らずに、顔を見合わせていたな。ハハハ。
こんな環境でジャズを聴くうちに、ジャズの真髄ははテーマ曲それ自体にあるのではなく、ひとつのテーマを自分のやり方で崩していくことにあるんだな、と思い始めた。それがアドリブといものだというもので、なんとなくテーマ曲と似た響きに聴こえるのは、元歌の和声(コード)にそって演奏されるからだとわかるようになるのに、たいして時間はかからなかった。だが、こういうジャズの理解の仕方はかなりリスキーなもので、ジャズファンの多くは自分のちょぼちょぼの音楽的知識がすごーく素晴らしいものであるかのように錯覚してしまいがち。もっと本能的、野性的に音楽と向かい合い、「んー、セクシーだあ」とか「おー、胸をしめつけられるなあ」と直感的に聴いたほうが、より音楽の実像を感じられることがある。ほら、ワイン・オタクに「82年のシャトー・マルゴーはいいよ」などと御託をならべて解説されると、折角のマルゴーがまずくなる、というのと同じことなのだ。知識を得ることは大切だ。だが、その知識の引力から自分を解放する装置をもっていないと「電車男」、「ジャズ男」になるだけ。この入門は読んだところからすぐ忘れ、ご自分の感覚で音楽を楽しんでいただきたい、とお願いして、続きはまたのお楽しみ!

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この記事へのコメント

半斤八両
2006年03月07日 23:20
はじめまして、クルセイダーズが好きで…というブログをやっております半斤八両と申します。
まさかあの記事の筆者の方に、私のブログをご覧いただけるとは夢のようなキモチです。
池上様のブログを見て、「なるほど、犬ね~」ってカンジです。
「極私的ジャズ入門」のほう、期待してます。早くフュージョン全盛期が読みたいな~なんて思っています。
今後ともよろしくお願いします。
http://blog.livedoor.jp/iq004847/
Bruce
2006年09月20日 15:26
Good design!
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