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zoom RSS Negative  Chain Reaction(負の連鎖)

<<   作成日時 : 2009/06/19 16:23   >>

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人の暮らしに付き纏う悲しみ、怒り、憎しみ、不快といったネガティブな感情は、連鎖して増殖しやすい性格を持っている。この写真はイラク戦争(アメリカによるイラク侵略)のものだ。この紛争によって命を奪われた人の数はマスコミが発表する数字の倍以上になるといわれているし、攻め入ったアメリカ側の犠牲者もベトナム戦争以降の軍事行動では最大のもので、重度の負傷者、精神に異常をきたした人の数を考えると、戦闘では圧倒的な優位に立つアメリカにとっても看過できない悲劇といえるだろう。
戦争や軍事力を伴う紛争は、単純にその時だけで終わるものではない。この写真の母親にとって平和な暮らしを蹂躙したアメリカは、たとえ撤退しても、その理由がどんなものであろうとも、憎しみの対象として心の奥底にとどまるに違いない。それが個人の心な中で消化され、風化されるには気の遠くなるような年月が必要となるだろう。ぼくら日本人が体験した太平洋戦争のことを考えればすぐに分かる。あの戦争で日本に侵略さasianた近隣諸国の人々のなかには、いまだに日本および日本人を憎んでいる人が数多くいるのだ。その感情はやがてその時には生まれていなかった子供たちにも受け継がれ、世代を超えて連鎖していく。そして、小さなトラブルや誤解があると再び憎しみがわきあがり、時代を超えて現在の感情として機能してしまうのである。
こうした心の底に澱んでしまう「負の連鎖」は、一体どうすれば解消できるのだろうか。政治的・宗教的・経済的「負の連鎖」によって起こる戦争を終わらせること以上に難しいのが、心の「負の連鎖」なのである。

画像


ぼくがこのPostで書こうと思っているのはベトナムやイラクのことではない。Torigenさんの逝去をめぐってどうにもやりきれない問題が、ブログ仲間のなかで起きているのを知ったからだ。
Toriさんが自分のブログに新しいPostを立てる回数が減り、レスを付けるのが少なくなったのは5月に入ってからだった。おそらく数ヶ月前から肉体的な苦痛はかなりのものだったのだろうが、彼はそれを振り払うかのように精力的に更新を続けていた。そして、急激な病状の悪化。それでも病床からあの「わはは」を送り続けてくれたのだった。
5月末からは、その回数も減ってきた。ぼくはメールでかなりしんどい状態であることを教えてもらっていたが、それ以上のことはぶうみんさん、病院に駆け付けたch-B&masta.G、asianさんのコメントによって知るのみとなった。
病状の悪化を知って、ブログ仲間が次々に病院にToriさんを見舞った。Kimさん、そうるさん、Marieさん・・・。
<みなさん、お忙しいなかをお疲れ様でした。行けなかったぼくとしては、ありがとうと言うしかありません>

Toriさんは、優しい家族、強い友情に支えられた友人、直接の付き合いは浅いが濃密な心の付き合いをしてきたブログ仲間に囲まれ旅立ってしまった。
最後の晩に、Mさんが(もうだれのことかおわかりだろうが、以後はMさんと表記させていただく)連日のご看病でお疲れのご様子だったお母様にかわって付き添いを申し出て、未明の急逝に立ち会うことになってしまったのである。

やりきれない問題はその数日後に起きた(ようだ)。
Mさんは、もうこの問題について触れたくないほどのショックと傷を受けられていることだろう。だが、ぼくがあえてここでPostを立てさせていただいたのは、このことが言葉によるコミュニケーションの誤解、解釈の違い、ということから起きているもので、もしToriさんがいたらその解消に対して努力するに違いないと思ったからだ。彼はこの手の誤解を、特に自分の周辺で起きている問題に対し、神経を使っていた。「Tori's Triangle」でちょっとした論争があった時も、時間の経過に流すようなことはせずに「それは個人的なメールで・・・」といって、解決したのである。
さらに、この問題は言葉の意味と解釈の違いが、人を傷つけ、「負の連鎖」に陥る危険性、さらにはネット・コミュニケーションのマイナス部分を誘発しかねないと思うから、あえて書かせていただいている次第である。話しの蒸し返しをご勘弁いただきたい。

ToriさんとMさんのそれまでの交流について、ぼくはよく知らない。過去のコメントから、優しい「わはは」のおっさんがヴォーカリストであるMさんを支援し、その心を支え、勇気づけてきたきたようだと分かるだけだ。MさんがいかにToriさんに感謝して、大切な存在としてコミュニケートしてきたかを知るにはそれだけでも十分なくらいだ。
そんなToriさんをたったひとり、病床で看取ったMさんに対し、ぼくはお疲れ様、ありがとうと言いたい。
Mさんは、自分にとって大切な存在であるToriさんの最期に立ち会ったたった一人の人として、その様子を心配している人々に伝えなければ、という使命感をもたれたのだった。
御親戚からの「様子をみなさまに伝えてください」という要請もいただいたようだし、その責任を感じ、さらに大切な人の死に遭遇してしまったショックから立ち直るためにもブログ仲間に伝えたいと思われたのではなかろうか。ここまで、Mさんには人から非難・批判されるようなことは何ひとつない。実際、ぼくらはMさんのレポートで「わはは」のおっさんが安らかに旅立たれたこと知って、安堵したくらいだ。

Mさんのレポートは、彼女のWEBで公開された。おそらく、お宅に戻られてから、夜も寝ずに書き続けられたのだろう。No.1〜No.9までのレポートにはToriさんの状態とそれに付き添うMさんの気持ちが、詳しく書かれていた。
その詳しさが彼女のWEBに非難コメントを送った人を不快にさせたのではなかろうか。
どんな媒体を用いた表現でも、それが書き手から離れてパブリックな場所に出されたとたん、言葉・文章はそれ自体の人格(文格?)を持ち、独り歩きを始めるものだ。それが、いかに個人的な感情、感覚、論理を持つものであってもだ。演奏される音楽がミュージシャンの生身から離れた<作品>として独り歩きするのと同じことである。
だから、職業的な物書きは言葉と生身の自分との距離を微妙にコントロールして、ある種の「普遍化」を考えるのだ。だが、心優しく、文章を書くのが職業ではないMさんにとって、Toriさんの死と生身の自分は不可分なことだったのだろう。
おそらく、Mさんに「家族でもない人の死をブログのネタにするなんて」というコメントを送り非難された方は、Mさんが書かれたレポートのそうした部分が不快だったのだろうと想像されるのである。いったんそうした不快感を持てば、すべての文章が、読む人の中でネガティブに作用するものだ。
「・・・私が付いていながら…という申し訳ない気持ちと、私が行って看病を代わった事が返って最悪の結果を招いてしまった」
この「私が付いていながら」という言葉は、普通、「付いていれば、なんとかなる、なんとかする」人が用いるべきものだろう。Mさんはちっともそんなことを思ってはいないのに、この言葉の選択によって誤解を招くことになるリスクを持ってしまうわけだ。

<Mさん、申し訳ないという気持ちも、お母様がToriさんの臨終に立ち会えなかったことに対しても、
「罪の意識で苛まれ」る必要はないのです。おそらく、お母様も、弟様も、あなたの優しさに感謝こそすれ、非難がましい気持などこれっぽっちもお持ちではないでしょう。
ただ、言葉の選択と、言葉と生身のあなたの距離感が「自慢」と思われてしまったのかも知れません>

ぼくは知りあいのミュージシャンについて文章を書くときに、もっとも注意するのは個人的なコミュニケーションをひけらかすような書き方をしないようにすることだ。このブログにはいくつかのそういうテーマがあるが、その点だけには気を使っている。ブログといえども、このメディアはパブリックに発信され、不特定の人の目に触れるもだからである。

「Tori's Triangle」に集う人たちは、いろいろなブログを見ているぼくから判断しても、相当に「良質」な人である。そこには常にメンバーに対する好意が満ちていて、ささやかなことを発展させ、普遍化して行こうとする熱意があふれている。それは故人となった旧ブログ主の人柄と、リーダーシップ故の結果であるだろう。
そんな素晴らしいブログで、言葉の受け取り方の違いによって、立ち寄る人がいなくなったり、感情的な「負の連鎖」が起きたりしたら、これは文化的損失である。連鎖はここで断ち切って、Positive Reactionにしたいものだ。

Mさんを非難するコメントを書きこまれた方は、匿名でも結構なのでこちらのほうで、意見を述べていただきたい。
で、なーんだ「わはは」と言えるようにしたいものである。


(急いで書いたので、あとから補足するかも知れません。よろしく!)


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2009/06/20 10:15

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コメント(13件)

内 容 ニックネーム/日時
僕はMさんのブログをNo.3くらいまでしか読んでいないので、その後、なにが起きたのか全く知らない。だからIKEGAMIさんの文章を参考にして考えるしかない。このことをお断りしておく。下記の「」内はIKEGAMIさんの文章からの引用である。

「このことが言葉によるコミュニケーションの誤解、解釈の違い、ということから起きている・・」

ブログは言葉だけなので、会って話すのとは違う。相手の表情や声の調子、振る舞い、雰囲気等々は言葉からはわからない。だから、言葉には慎重になるべきだ、と僕も思う。

しかし、<気持ち>があっての言葉である。少々言葉が過剰になっても、それは書き手の気持ちがそうさせたのであって、読み手は「そのように書かざるを得なかったという書き手の切ない心情」を受け止めるべきではないのか?想像力や共感力の問題だと思う。書き手の「切なさ」に寛容になれなくて何がブログだよ・・と思う。

asianimprov
2009/06/20 12:02
同時に、<言葉は磨かれなければならない>とも思う。言葉に情緒が過剰になると、伝えたいことも伝わらない。気持ちが動転している時に言葉表現をコントロールするのは非常に難しいが、自分の言葉が読み手にどう伝わるのかを「ある程度」は考慮に入れるほうがよいとも思う。但し、客観性を重視しすぎた文章は味も素っ気もないものだ。

なお、<相手にどう伝わるか?>てな事を考えることなく一気に書いた文章が、結果的に自分自身を素直に出すこともある。IKEGAMIさんが引用してくれたtorigenさんへの追悼文(実は僕は鳥元さんのことをよく知らない・・で始まるやつ)を僕は一気に書いた。読み手のことなど眼中になかった。自分の気持ちを整理するために書いたのだ。だから、ずいぶん自分勝手な文章なのだが、IKEGAMIさんは気に入ってくれた。こういう、予期せぬ連鎖反応こそブログの醍醐味であると思う。
asianimprov
2009/06/20 12:03
最後に、「家族でもない人の死をブログのネタにする・・」だが、家族でもない、たった2回しか会ったことのない、それも日系アメリカ人のジャズピアニスト、故グレン・ホリウチ(彼も40代でガンで亡くなった)を自分のブログで何度もネタにしている僕など、この人には不快極まりないのだろうが(笑)、これが僕の方法である。故グレン・ホリウチをネタにして食べ尽くすことが僕に出来る唯一の弔いである。
asianimprov
2009/06/20 12:05
asianさん、いつもながらの素晴らしいコメントありがとうございます。
ぼく、最近はトマトの苗を植えたりしてるんで、そのうち職業交換しましょうか?
言葉の意味の伝達は、意味するものと意味されるもの、意味する人と意味される人の間のズレが面白くもあるので、ちょっとばかり厄介だったりするんですよね。
読み手の寛容さに甘えず、厳密でありながらゆとりのある文が書きたいものだと思い続けて40年。なかなかうまく行きません。
IKEGAMI
2009/06/20 12:22
torigenさんは、僕たち(chi-B&masta.G)の音楽を応援して下さっていました。LIVEにも何度も足を運んで下さいました。音楽をやる側としては、詩を書いたり、メロディーを作ったり、録音してみたりする中から自分自身を確かめられますが…。その方法と、しつこい程の鍛錬と、なーんにも考えへん”素”で生きることとのバランスによって、初めて人前で自分達の作品(行為)をさらけ出すことができます。そして、聞く側の人達の心と自分の心が共鳴します。それは音楽の持つ情報伝達能力です。torigenさんは音楽を通して人と人との連帯感・和を以って人と人をひとつにすることが好きだったんでしょう。今、日本にとっても世界にとっても、日本的な和の発想が一番欠けているように思われます。第三の何者かにコントロールされ、自分が自分でなくなって崩壊する方向に向かっています。ダメです!そのワナにはまるな!一人一人、自分がやるべき事を考え、行動せねばなりません。
masta.G
2009/06/21 00:54
私は音楽家として、曲を作り、詩を書き、演奏し、コンサートを開き、音場を体感していただき、録音をし、記録し、CDを作り、インターネットを使い、世界中に届けたいと願っております。この世の世界をとびこえ、あの世にまで送り続けております。ぜひ、皆様方が誤解を解き放ち、自由に解放されることを望みます。きっとtorigenさんも、そんな妄想にも近い夢を体感し、追い続けていることでしょう。私は、人と人が音楽を通して地域や人種や人格を飛び越えて、共鳴しあって支えあって、一つになることを望みます。実は、torigenさんが亡くなられたと知った日に詩を書きました。何日後かには音楽にして発表します。皆様の心の奥底と、キラキラ光る星に向かってでもあります。皆様の心の平穏と、健康と、子供の頃のやさしい気持ちを忘れないで。さようなら、torigenさん。まだまだ続くよ、夢の続き。
masta.G
2009/06/21 01:00
masta.G、追悼&コミュニケーション・コメントありがとう。
「現代とは、相反する価値が共存する時代だ」というポール・ヴァレリーの言葉は、学生時代のぼくの行動指針でした。世の中には共存を妨げるエゴがゴロゴロしてます。地域エゴ、宗教エゴ、国家エゴ…。
ぼくらは時にはそれと闘い、時にはそのエゴとさえ協調し、相反する要素を超えていかなくてはなりません。
フランス語の「コミュニカシオン」は、交流というより交感に近い意味を持つ言葉です。認識という知的な繋がりよりも、本能的、動物的な繋がり。音楽はその力を持つものだし、そこが原点です。
chi-B&masta.Gの次の作品を心待ち(いや、身体待ち!)にしています!!!
IKEGAMI
2009/06/21 09:26
IKEGAMIさん、皆さん、こんばんわ。
私はMさんのところにどんなコメントがポストされていたのかは断片的にしか知りません。Mさんのブログはコメントを「非公開」に設定もできるのに、敢えてそのような個人攻撃的なコメントを不特定多数の目に触れるように「公開」した事の意味が全くわかりません。
私はMさんが気の毒でなりません。初めて実際にお会いされたのが病院にお見舞いに行かれた日(だと思っています。)
その日の夜(次の日の早朝)torigenさんに付き添っておられたMさんが、torigenさんの最後を見送る事になるなんて、聞いた時は本当にびっくりしました。
大事に想っているtorigenさんを失って、ただでさえ落ち込んでいるというのに。
Kim
2009/06/22 02:42
Mさんにお知らせしたのは私です。Mさんにとってもtorigenさんはとても大事な方だと思ったからです。
コメントや記事、メール、等‥、私なんかは言葉足らずや説明不足が多くて、誤解も多いし、読み取る能力が若干欠乏している事もあって、受取側での誤解もしょっちゅう。
でも、やはり不愉快に感じたとしてもそのようなコメントをポストされた心情を理解する事ができません。
IKEGAMIさんが提案されているように、少し落ち着かれたら意見をポストして頂けたらなと思います。
(IKEGAMIさん、優しい労いのお言葉をありがとうございました!)
Kim
2009/06/22 02:43
Kimさん、コメントありがとうございます。

このやりきれないトラブルは、ネット・コミュニケーションの「あぶなさ」が背景にあると思ったので、あえてPostさせてもらいました。
WEB、HP、BLOGはパブリックに開かれていますから、どんな人が読むかまったく分かりません。実際、かなりの数の人がこの伝達手段を用いて、吐き気のするような誹謗中傷・悪意の書き込みを行っていますし、ネット詐欺も多い。Mさんの善意は、こうした対極にあるものと同一の土俵にたってしまうのです。これまでToriさんのところや、Gパパ、熊本の闘魂、半斤さん、chi-Bちゃんのブログで楽しいコミュニケーションしか体験していない人は、いわば過保護状態に置かれた子供のようなものでしょう。そんな社会にあって「善意」は弱いものです。
厳しく言うなら、善意がそのままパブリックに通じるとおもうことは「幼児的楽観」に過ぎません。
(続く)
IKEGAMI 1
2009/06/22 08:41
では、どうしたらいいのかと考えると、悪意に対する防衛方法を用意するか(ある表現に限って認証を必要とするとか)、キリストのように右を打たれたら左を出すような無防備さですべて受け入れるしかないでしょう。

もうひとつ、人のコミュニケーションに関するデリケートな問題があります。それは感謝の表現とか、人をほめることの難しさです。たとえば「ありがとう」という言葉を何回も繰り返すと、感謝の誠意が薄れて伝わったり、リアリティがなくなったりして伝わることがあるのです。ぼくの仕事は人が作ったものや、作り手を褒めたりかっけなしたりすることなので(笑)、それが嫌味にならないように気は遣っているつもりです。ただ、それが過ぎると技巧的になって、もっと嫌味になります。言葉というのはかように難しいものです。
「悪」は単純にイケナイといってなくなるものではありません。「善」で世の中を埋め尽くし、「悪」が目立たなくなって戦意を失わせる覚悟が必要なんだと思います。
いろいろと、お気遣い、御苦労さま。ありがとう!

IKEGAMI 2
2009/06/22 08:55
ものすごくお久しぶりです。ごめんなさいです。

どうも半年くらいになるか、皆様のブログに無邪気にコメントが出来なくて。
私が出入りしているブログは、お気楽な2ちゃん的なところでなくて、真剣に生きている人たちが集う場所ばかりで。
正直、ネットの世界もいいものだな、と思わせてくれた人がいなくなるなんて。

とりあえず、原稿は書いてみたんですけどね、IKEGAMIさん。あとで記事になりましたら読んでください。
泥水飲込
2009/06/23 11:33
私はMさんの書いてくださったことを他の皆さんと同様に有り難く拝読し、感謝とtorigenさんへの追悼と、その場に行けなかった自分が申し訳ないとしか感想が湧きませんでした。もしかするとこれはtorigenさんのもとに集まられた皆さんの一人として、一般に公開された場所であったという感覚が麻痺したためとも感じられます。私torigenさんのところでも、そしてこちらでも参加者の方のすばらしさだけを感じ、半ばそれが当たり前に思ってしまい、その家族感が当たり前で広く公開されているというネットの特性「無差別」をすっかり忘れていた気もしています。泥水兄がいうとおり、もともとネットへの不信をもちつつ、torigenさんのところ、そして皆さんのところでネットの良さを感じ、そちらをスタンダードとおもいこんでしまったところがあります。
他の人が悪いとかではなく、一般に公開されることの難しさでしょうか。ただ、本当に対面しないこと、バックグラウンドを問わないこと、自由に閲覧でき発言できることの副作用として、ちょっとした誤解から嫌な気分だけが延々とつながるのは避けたいですね。
J・AGE
2009/07/07 09:03

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