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zoom RSS EMOTIONAL SKETCH11 20年経っても・・・。

<<   作成日時 : 2007/09/09 01:24   >>

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8月の末に品川教会でライブがあった。普通、教会で行われるコンサートはクラシック音楽が多いのだが、この日の演奏はR&B系のポップス。牧師が説教をする位置に大きめのステージが組まれ、中央にグランド・ピアノが置かれている。このピアノを弾いて歌うのは木下航志という18歳の全盲の「少年」だ。(18歳はもう「青年」だろうが、航志くんは小柄なのでどう見ても「少年」という感じなのだ)
彼が出演し、関東地方で放映されている京成スカイライナーのCMの「スカイライナーで音楽を聴きながら成田に向かい、ニューヨークに飛んだ全盲の青年が、黒人教会でゴスペルを歌う」という内容は、現在進行形の航志くんの実話なのである。

1キロに満たない体重で鹿児島に生まれた航志くんは、生後1ヶ月で視力を失った。スティービー・ワンダーと同じ、未熟児網膜症であった。だが彼は、光のかわりに音に対する鋭敏な感覚を持っていた。視覚障害者のための有線放送番組を聴かせると、ジャズやR&Bを好んで選ぶ幼児だったそうだ。5歳でピアノを習い始めたのだが、2回目のレッスンの時には「バイエル」を勝手にジャズ風のアクセントをつけて弾き、みんなをビックリさせたらしい。
航志くんは8歳からキーボードをもって路上で歌い始めた。この路上ライブを勧めた先生は凄い!只者ではない。8歳の子供を、しかも全盲の航志くんをストリート・ミュージシャンなんぞにしたら、世の良識家ぶっている厄介なつまらない大人からどんな言われ方をするか、すべて承知の上での行動だったに違いない。彼は自分の好きな種類の「音楽の種」を、アメリカの黒人たちがしているようにストリートという「苗床」で生育させていくことになったのだ。
その後、かれは周囲の勧めによってニューヨークに渡り、ゴスペル教会で聖歌隊と共演する。これが13歳の時。2年後にNHKのアテネ・パラリンピックのテーマ曲を歌い、その名と才能を全国的に知られるようになるのだ。レコード会社が何社も鹿児島詣でをして、専属契約を持ちかけたのだが、最終的に航志くんと家族が選んだのは吉本興業(あの“お笑い”の吉本!)が立ち上げた新参の音楽制作会社「R and C」であった。

「会社で選んだというよりも、ぼくを誘いに来てくれたプロデューサーの永島さんがちょっと変わった人なので、気になって・・・。だって、今はCDデビューするより学校のほうが大切だ、なんて言うんですから。そんなこと言う人はほかにはいなかったなあ」
航志くんをインタビューした時に、その「永島さん」と会うことになったのだが、インタビュー途中で「池上さーん、ワーナーの永島ですよ。あの頃はお世話になりました。20年以上会ってませんよね!」と言い出したのである。互いにジジイになって顔を合わせたときは、どこの永島か、池上か、分からなかったのだ。

この永島修は以前ワーナー・パイオニアの洋楽部にいて、ソウル・ミュージックの名門レーベルでもある「アトランティック」担当していた。レコード会社に入る前はニューヨークにいたらしい。で、NYの何処で何してたの、と尋ねると「ニュージャージーのニューアークに住んで板金工やってました。NYの下町、川向こうの住人ですから、黒人音楽がどういうふうに生まれて、彼らの生活のなかで伝わっていくのかはよく知ってました。だから池上さんがFM番組で“ラップは黒人の新聞みたいなものですよ。ラッパーは瓦版屋”と話してるのを聞いて、住んでもでいないのに何で知ってるのか不思議だったんです」と言うのだ。
(彼については、再会の直前にブログ仲間である大阪のラッパー=chi-Bちゃんのところでコメントしたことがある。chi-Bちゃんとグループを組むmasta.Gがむかしワーナー・パイオニアの邦楽部でディレクターをしていたというので、ひょっとしたら知り合いじゃないかと思ってコメントしたのだった)
彼は日本の音楽状況をかなり醒めた目で見ており、気心の知れた仲になるとラディカルな発言が次々飛び出した。だが、その過激な言葉は「部外者」からの現状批判ではなく、ストリートで黒人たちと音楽を共有した者ならではの愛情に裏打ちされたものであった。
そんな男だから、木下航志くんが東京にいるときは自分の家に泊めて、家族のような時間を過ごさせているのである。そこで18歳の青年は、これまで聴いたこともないようなソウル・ミュージックを聴かされたり、新しいレパートリーのアドヴァイスをもらったりしている。つまり、生活感のなかで音楽が呼吸する場所を得ることができたわけだ。CDのメジャー・デビューだけを考えたら、RandCよりも既成のレコード会社のほうが有利な点は多いことだろう。だが、航志くんと家族が永島を選んだのは、音楽の土壌となるものの大切さを感じとっていたからではあるまいか。

そんな環境のなかで、木下航志の音楽は半年前とは別人のような成長を遂げている。それが溢れる自信となり、ステージ上で炸裂したのが、この品川教会でのコンサートであった。共演するソウル・サーチャーズは音楽評論家・制作者である吉岡正晴氏がプロデュースするグループ。このメンバーたちから「本気」のサポートを受け、航志くんはダイナミックに自分を謳い上げる。小柄な彼の3倍も大柄な、ブレンダ・ヴォーンとのDUO「アメイジング・グレイス」に客席から歓声とため息があがる。「どうしてあんな声量があるの?」、「すごく自然にソウル・ミュージックを歌ってる」、「楽しんで歌ってる歓びがこちらにストレートに届く」・・・。コンサート終了後のロビーは賞賛の声が溢れた。
だが、変人プロデューサーの永島は、こともなげに言った。
「ま、好意に囲まれたライブですからね。どんな時でも、人工的な作業となるスタジオのなかでも、こういう自然なノリで歌えるようにしてあげたいんです」
20年経っても、その変人ぶりと音楽に対する愛情はいささかも衰えてはいなかった。

音楽ビジネスとはちょっとばかり次元の異なる場所で、新しい音楽の担い手が確実に芽吹きつつあるのが嬉しい!

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コメント(3件)

内 容 ニックネーム/日時
こんばんわ。このSingerさんのことを、つい最近新聞で読んだような気がします。さっと目を通しただけでしたので、こうしてIKEGAMIさんのブログで読めて良かったです!偶然とはいえ、ありがとうございます。間近で体験してみたいLIVEです。ぜひとも、直に感じたいと思います。

YES…以前にプロデューサー永島さんのことをIKEGAMIさんから聞かれたのを覚えています!(Gさんは知らなかったんですよね。洋楽の方の所へ行ったのは、ある日本人SingerをStuffの前座に入れろ!との命が上から下って、それを実現させるべく談判に行ったとき位だそうです。若い若い21〜22才の頃です。)
chi-B
2007/09/09 02:07
早ぁい!
後ほど追記で書き込みますが、「voice」という写真集&エッセイが小学館から出ていて、その付録にミニCDがついてます。そこで歌われてる「竹田の子守唄」が凄くいい!まさにJapanese Soul Musicという感じで歌われてます。コンサートでも客のレスはこの曲と「アメイジング・グレイス」が最も大きかった。
新聞記事はコンサート前日の8月28日に、朝日の「ひと」というコラムですね。
吉本がクリエイティブ・ミュージックをもっとやるようになると面白くなるんですがねえ。
IKEGAMI
2007/09/09 02:27
そっか、この子(失礼)吉本に入ったのですか?
航志くん、もっとちっさな時から聞いてました、噂は。その後、NHKなどで番組があり小学生くらいだったときに鹿児島の連中と話したことがあります。
お母さんが明るい人で、いい環境で演れてるんだなぁ…と思ってましたが。大人のエゴに振り回されずに才能を延ばして欲しいなぁと常々思っておりました。
才能には常に“取り巻き”がいて、それが効果を発揮したりこれまた逆効果だったりしますからねぇ(汗)。
torigen
2007/09/09 06:22

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