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zoom RSS 犬は文化を映す

<<   作成日時 : 2006/02/16 17:56   >>

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ゴールデン・レトリーバーのMAXが我が家の一員となったのは4年前のことだった。MAXが来てからの4年間、ぼくの時間の殆どは彼のために費やされたと言ってもよい。「この犬種は盲導犬としても使われるくらいだから、人間のライフスタイルに合わせることができる」とか「1日くらいの留守番なんてどうってことない」という言葉にたぶらかされたのである。
MAXの名誉のために言っておくが、彼は我が家のライフスタイルに合わせて暮し、我慢すべきはちゃんと我慢もできる。1日の留守番だってへの河童である。だが、できることなら我慢はせずに1日中でも外で遊んでいたいし、留守番なら是非とも庭でさせてほしい、というような気持ちを強く持ち、その割には何気ない動作でアピールしてくるのである。その呼吸が絶妙で、悪魔的な悲しさの表現というワザをもっているので、つい、彼が楽しくなるようなことをしてしまうわけだ。
かくしてぼくの職業は飼い犬のトレーナー兼シッターとなり、朝に晩に犬連れのおじさんが買い物に行き、コンビニの立ち読みも行き交う人や車を見ながら待たせるという、ご近所の方々から見ればちょっとおかしい犬バカ変人中年となってしまった。だが、他人から見れば残り少ない人生の時間の無駄遣いとしかみえない毎日も、結構これまで見えなかったものを見せてくれるので、余計始末が悪いのだ。
例えば、犬連れで歩いていると「わー、可愛いですねえ、触っていいですか?」なんていう声がかかる。もちろん、うちのボウヤの可愛さが分かる人には心行くまでお触りいただくのだが、犬が可愛いと思うに国境はない、などというオリンピックみたいな考えは、やがてなくなった。「ハーイ、ドギー!」と声をかけてくる外国人の多くはいわゆる欧米人で、出稼ぎにきているアジア系、インド系、アフリカ系の人は殆どが無視か、犬を避ける。幼児を連れた母親などは道の反対側に避難したりするのだ。この原因は犬と暮らすようになった後、アジアを旅して納得した。アジア・アフリカには欧米スタイルのコンパニオン・アニマルという発想が希薄なのである。犬の多くは路上生活、野良暮らし。したがって、家の中で人間と喜びや悲しみを分かち合うことが可能だと説明しても、「おまえバカか。思い過ごしだよ」と言われるか、「犬自慢してるの?」と言われるくらいが関の山。彼らの生活様式の中で、犬は家族の構成員ではないのだ。(ま、戦争直後の日本の飼い主-飼い犬という意味での家族意識はあるようだが) ぼくはそういう犬に対する意識を非難しているわけではない。欧米人以上に犬と密なコミュニケーションを持っているアジア人も知っている。欧米人が爪の垢でも煎じて飲んだほうがよい動物との関係を作っている国だってある。要するに、単に文化の土壌としての生活様式が違うだけなのだ。
こうした違いは、日本ではジェネレーション・ギャップとして浮上する。60歳代以上の世代の多くは、犬は外飼いの番犬で、家の中で一緒に暮すということなどは一度として考えたことがない人々がいて、そんな人の多くは糞を始末しない犬の飼い主や、公園に入ってくる犬を苦々しく見ているのである。なにしろわが国にはかつて、「座敷犬」などというスゴイ言葉があったくらいなのだ。それも歴史的過去ではなく、比較的いまに近い「近過去」に。
こうしたギャップが、犬に関わる様々なトラブルを引き起こしていることをよーく理解しなくてはなるまい。次回はこの問題をもう少し具体的に検証することにしよう。

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