お答えします#2~アメリカ黒人とジャズ2

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あまりに間が空いたので、このテーマが気の抜けた炭酸飲料みたいになっちゃいましたが、改めて第2回を書きます。

前回、chi-B & masta.Gさんが「黒人はジャズを聴かなくなったわけではない」というコメントをご自分の体験から下さいました。ではどうして、「黒人がジャズを聴かなくなった」と日本人が思うのでしょうか。それは、黒人の生活の場を見ていないこと、及びジャズという音楽をスタイルで固定して聴いていることが大きいと思われます。

ジャズが演奏されている場は表面的には、ライブハウスやコンサート・ホールなのですが、アメリカのアフロ・アメリカン(=黒人)はアドミッションが高いので、生活環境の中で音楽を聴いたり演奏したりすることが多い。その実態は名所巡りの日本人旅行者には、見えないわけです。アメリカのライブハウスの入場料やコンサートのチケット代は、日本よりもはるかに安いのですが、それでも平均的な黒人にとっては馬鹿にならない出費です。(ぼくが学生時代に「ピットイン」や「ジャズギャラリー8」でライブを聴くのと同じ。持ち金を全部使って渡辺貞夫や山下洋輔を聴き、2時間以上歩いて家に帰ったこともありました) だから,彼らは生活エリアで音楽を聴き、演奏するのです。よく映画やTVドラマで見られるように大きなラジカセを持ち歩き、路上やグローサリーストア,楽器店の前などにたむろして流行の音楽(かつてはR&Bやラップ、いまはHIP-HOP)を聴き、簡単な楽器とハンドクラップ、ヴォーカルなどで盛り上がるのです。そこには最新ヒットもあればロックもR&Bも、そしてジャズもある。要するにカッコイイ音楽であればなんでもいい。この雑食性と今に生きる気持ちの強さこそが、アメリカの数少ないオリジナル文化のJAZZを生み出した原動力だと思うのです。だから「ビレッジ・ヴァンガード」や「カーネギー・ホール」がなくたって、彼らは困りません。ライブハウスやコンサート・ホールは目標の一つであったり、憧れの場所であったりしますが、FMステーションとストリートがあればヒップな音楽、JAZZは死にません。

つまり、アメリカの黒人にとって音楽はいまだにコミュニケーションの重要な要素として機能しているので、「そんな時代じゃあない」などという単純な理由で簡単にゴミ箱に捨てるわけにはいかないのです。かつて渡辺貞夫さんは、ニューヨークのストリートを歩きながら「この街はジャズを必要としてるんだよ。歩いてみれば分かるだろ?街のリズムがジャズだし、生活のいろんな場所にジャズの感覚が生きてる。だからオレはここで自分の音楽を聞いてもらいたいと思い続けて来たのよ」と語っていました。彼の言うジャズとは、硬直したジャズ・ファンのように神棚に祀られカテゴライズされたものではなく、R&Bやヒップ・ホップなども含まれます。(その何よりの証拠は、貞夫さんの主催するイベントにはそうした“いわゆるジャズ以外”のミュージシャンも招かれていることです)
歴史的に考えてもアメリカ黒人は、白人たちよりもはるかに強く自分たちの音楽を希求していました。奴隷として暮らさざるを得ない生活のなかでも、アフリカから持ってきたリズムを軸とする音楽を楽しみ、黒人共通の言語として互いに語り合ったのです。支配者たちはそのミステリアスなコミュニケーションを恐れ、「ドラム禁止令」のような法律まで作って彼らの音楽による会話を妨害しようとしました。でも、黒人たちは「口ドラム」のピッチ変化によってコミュニケーションを続けたのだという話を聞いたこともあります。音楽による「民族の祝祭」は誰にも止めることなどできないのです。

ぼくは前号で、「JAZZは黒人の民族音楽ではなくて、人種をこえたアメリカの都市音楽である」と書きました。黒人奴隷たちがアフリカからアメリカに持ち込んだ「音楽の種」は、南部のカントリーではブルースとして、黒人教会という場所ではゴスペルとして、そしてニューオリンズという歓楽地ではジャズとして花開くわけです。
ジャズ発祥の地といわれる(異論を唱える人もいるが)ニューオリンズは、他の南部のエリアとは違った自由な街でした。ルイジアナ州がアメリカの領土となる前はフランスやスペインの植民地だったからです。アングロサクソンよりも人種的偏見を持たないフランス人やスペイン人との間に生まれたクレオール(混血の意味で、アメリカ人はクリオールと発音する人が多い)が、黒人とヨーロッパ音楽との出会いに大切な役割を果たすのです。

なんだかジャズ史のレポートみたいになっちゃうので、ジャズの発生の詳細は次回に回すとして、qoopapaからご質問があったニューオリンズのジャズ状況についてちょっとまとめて見たいと思います。
この街で生まれたジャズはアメリカの経済の変化に沿って、シカゴ~ニューヨークとその中心地を移し音楽形態も変化していくわけですが、生誕の地では10年一日(いや、ここでは100年一日でしたが)のごとく昔のスタイルのままのジャズが演奏されていました。勿論、ニューオリンズに生まれた若い人は新しいスタイルのジャズを志向するのですが、活躍の場はやはりNYやLAという経済・大衆文化に対するニーズが大きい都市でした。(ただ、幼少の時期をここやディープ・サウスで過ごしたミュージシャンの演奏はニューヨーク生まれ、カリフォルニア生まれのミュージシャンとは異なる色と癖を持っていることが多いのも確かです。三つ子の魂、なんでしょうね)
で、ニューオリンズのジャズはどうかと言うと、かつてのストリーヴィルや新宿・歌舞伎町のような歓楽街のフレンチ・クォーターにあるジャズ・クラブで観光客相手に演奏される「見世物」のようなジャズが殆どでした。でも、最古のジャズ・クラブと言われる「プリザベーションホール」に出演するようなミュージシャンの演奏は、昔とおなじことをやってても音楽に向う姿勢に切実さがあって、十分に楽しく、こちらの心に染み込んでくるジャズを聴かせてくれました。
70年代くらいから、ニューオリンズにも「Now Music」としてのジャズの創造性を作り出そうとして音楽教育活動をしてきた黒人たちが成果を実らせ始めます。その代表がウィントン(tp)とブランフォード(ts)の父親であるエリス・マルサリスです。すると、マルディグラのようなお祭りに出演するミュージシャンの顔ぶれも、ジャズ最前線のビッグ・ネームが揃います。彼らとて、ジャズを生んだ地に対する格別な思いは心の中に持っているわけですから、素晴らしい演奏になることが多い。というわけで、現在では決して見逃すことのできない街となっています。

この街に移住(?)した日本人ジャズ・ミュージシャン山岸潤史(g)は、ハリケーンで壊滅的な打撃を受けた街にとどまり、頑張っています。その復興に取り組む活動はNHKのニュースでも紹介されたそうです。(ぼくは見逃しました)
qoopapaの質問にあった「この街のジャズはどうなるのか」ですが、大丈夫、その音楽を必要としている人がいる限り、ジャズは不死鳥のように甦ります。だって、奴隷としてアフリカから連れてこられて、想像を絶する生活をおくりながら捨てることのなかった音楽なんですから。いまぼくらに必要なのは、こうした素晴らしい音楽を聴きたい切実な気持ちなのではないかと思うのです。

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