On The Road with Chick Corea <3>

1985年冬から数年間続いた「トーキョー・ミュージック・ジョイ」は、ジャズとクラシックを軸にさまざまな音楽が交差する素晴らしいコンサート・イベントであった。チック・コリアとキース・ジャレットという20世紀後半のジャズに彩りを与えた2人のピアニストをフィーチャーして始まったこのコンサートの主催者は、鯉沼ミュージックの鯉沼利成。かつて「あいミュージック」を興して菊地雅章や渡辺貞夫を世界に送り出した日本ジャズ界の名物男のひとりである。余談になるが、あの気難しいキース・ジャレットは、30年間も鯉沼に日本のツアーを任せているくらいだ。
コンサートが終わった日の深夜、チックから電話がかかってきた。
「Could you take coffee or tea with me tommorrow?」
うーん、これはたぶんモーツアルトの演奏についての話がしたいのだろうな。K.466の協奏曲を推薦した者としてはリクエストに応えねばなるまい。

画像

       (チックのWEBに載った昔のPHOTO。「サークル」の頃はスキニーで、眼はギラギラと輝いていた)

ホテルのコーヒー・ショップに行くと彼は遅い朝食を食べているところだった。いきなり「どうだった?」と聞いてくる。目がマジだ。ちゃんと答えねばなるまい。
「大きな流れはとてもよかったと思う。モーツァルトと真摯に向き合うチックが伝わってきたからね。ぼくは感覚的に音楽を楽しむリスナーだから、楽譜を見てあなたの演奏をアナライズしているわけじゃあないけど、音符の背後にあるモーツァルトの心の動き、たとえば輝きと闇の複雑な関連のような部分にちょっと無理なインタープリテイション(
解釈・翻訳)があるように感じた。20番はその往復がすごく要求されるでしょ。チックのほうに引っ張り込む部分が多過ぎるきらいはあったね。ところどころで、おー、やってるな、って笑えたから。
でも、ここはすごくセンシティブな問題でしょ? 作曲者以外の演奏家が弾くんだから、当然、演奏家の表現性が反映されるわけだよね。原曲のほうはというと、「こうなんだぞ」と演奏家に強いる要素ももってるわけだ。で、その戦いを楽しめるのがリスナーなんだと思うな」
「ふん、ふん」
と聞いていたチックが具体的なことを質問してきた。ヤバイ! 雰囲気で答えることはできても、こちらは演奏家ではないから、弾き方のディテールなど分かるわけがないのだ。
「GAMMYはクラシック演奏家のモーツァルトをたくさん聴いてるよね。そういう演奏家とくらべて、ボクのモーツァルトは弾き方、サウンドが違う?」
「うん、違う。チックのモーツァルトは、チックのものだから」
「ん?それは下手ってことかい(笑)」
「ははは、そうじゃなくてさ、ぼくはピアノを弾けないから詳しくはわからないけど、チックの弾き方はレガートの感覚を聴き手に与えてくれるんだ。ダンパーのかけ方もクラシック演奏家のやり方と違うように感じたね。ペダルの踏み方の違いかなあ。それがあなたの持ち味で、そこがいいって人もいれば、いやだ、だめだって人もいる。
キースの弾き方にはそれがない。オーソドックスな、いわゆる上手いクラシックなんだ」

キースという言葉が出た瞬間、チックの目がさらにマジになった。彼と並び立つもうひとりの巨頭の存在はやはり気になるのだろうか。
「気になる?」
とストレートに尋ねてみることにした。ぼくはミュージシャンと、本人以外の同業ミュージシャンについて比較の話はしないようにしている。ただし、時代が違ったり、楽器がちがう場合はその限りではない。マイケル・ブレッカーとコルトレーンの話はするし、マーカス・ミラーとサンボーンやマイルスの話もする。だが、チック・コリアというミュージシャンは世間が彼のライバルと見なしている人についても話せるのである。
「音楽を作って行く方法の違いについてはね。かれの方法はボクをすごく刺激してくれるんだよ」
「うん、それならぼくの印象を話そう。10番の2台のピアノのためのコンチェルト、k.365をやったよね。カデンツァは当然だけど、ロンド形式の第3楽章みたいなところで、二人の違いがはっきり出るように思えたね。ぼくはその違いを十分に楽しめたから、入場料のもとはとれた(笑)。ただ、コーニーなクラシック・ファンや、ディレッタントに対して損をするのはチックのほうだと思うよ。キースのほうがキリリと聴こえるから」
どこかの政治家以上に放言癖を持つぼくにしては、精一杯の神経を使った疲れる会話であった。数少ないボキャブラリーの中から単語を探して、こちらの真意を誤解なく伝えるのは相手方の好意に頼るしかないのである。彼との間に培ってきた信頼感がなかったら、この話はできなかっただろう。

「音楽は戦いじゃあないから、そもそも“いい-悪い”、“勝ち-負け”なんてないでしょ。ただ、”好き-嫌い”や“楽しい-辛い”っていう感情はある。音楽が複雑なのは、嫌いだったり、聴いてて辛かったりするものが、聴き手を思いもしなかったところに連れて行ってくれることがあるからだと思うな」
黙ってぼくの拙い英語を聞いてくれているチックに、さらに続けた。
「音楽家の表現は毎日同じクオリティが維持されてるわけじゃあないよね。本人はシャカリキになってても、出そうと思う音が出ないってことだってあると思うんだ。じゃあ、聴き手としてそういう日に当たっちゃった時はどうするかなんだけど、ぼくはこれに対して思想とも言うべき考えを持ってるんだ」
「ほお」
とチックが身を乗り出してきた。
「一度でも感動を与えてくれた音楽家、思いもしない場所に連れて行ってくれたミュージシャンが、どんなに不調であっても、黙って聴かせてもらい、ああ、きょうは調子が悪かったんだと思って、言葉に出さずに家に帰ることさ」
次の瞬間、チックが立ち上がった。
「ブラヴォー!」
と叫んで、大きな音で拍手をし、手を差し出してきたのである。周りのテーブルの客がビックリしてこちらを見た。もうチックのスクランブルエッグは、すっかり冷たくなっていた。

<3>はチックとぼくの間で交わされたもっとも緊張感のある会話を紹介させていただいた。次回はもっとひょうきんなチックとのRoadを紹介してエンディングにさせていただくつもりである。

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この記事へのコメント

torigen
2008年11月14日 20:44
これはこれはまた、スリリングな会話で…わはは。
<3>の内容はもの凄く私にも伝わって来るというか、高尚な音楽対話であるのに私のような音痴がどうこう言っても始まらないのだけれども、しかし内容が伝わるってこともあるのだ…IKEGAMIさんマジックかもですね?なんだかだからチック・コリアなんだと漠然と思ってたことが、このpostで氷塊したようなそんな気持ちになりました。THANX !! MY BIG BROTHER !わはは。
IKEGAMI
2008年11月14日 22:35
あれ、病人早いなあ。
ぼくはミュージシャンに嫌われる職業で食ってました。その自覚とプライドがあったから、彼らに対し「私は評論家の…」と言ったことはありません。ジャーナリスト、という言葉で足ります。ただ、チックやリー・オスカーのように親しくなった人が「評論家ってやつは…」と言うと、「オレ、それなんだよ。あんたが言ってるような人は評論家じゃないの。自称なの」と言い返したりもします。でも、フランス人のいう「クリティーク」がいないのは何故なんでしょうね。同業者でノーベル賞とった人もいないし。ああ、やだやだ。
2008年11月15日 10:07
「言葉に出さずに家に帰ること」っていうのはなかなか出来ることじゃない。音楽やミュージシャンに対して真剣に関われば関わるほど簡単に言葉にすることは躊躇されます。

そういうわけで、グレン・ホリウチのCDの解説はいまだ一行も書けない。(トホホ)情報を収集中なんですが、グレンの元の共演者であるLAの日系三世のベーシスト、タイジ・ミタガワから来る長文のメールがもの凄く面白くて、困っています。
IKEGAMI
2008年11月15日 11:28
asianさん、コメントありがとう。
グレン・ホリウチのライナー、頑張って! ミタガワ氏の面白いメール、ライナーに部分登場するでしょうけど、仕事が終わったら字数制限のないブログで往復書簡を紹介して下さい。(可能な範囲で)
音楽に限らず、巷の「評判」の無神経さには時々キレます。「最近ダメだね」とか「分かってない」とか言うラフな言葉一言で評価が出来上がっていくのですから。それはネット上の匿名無責任コメントと似ています。
音楽の現場にいると、演奏家とファンのやり取りを目にすることも多いのですが、そこで感じるのは「褒める」ことの難しさです。
masae
2008年11月16日 00:10
待望のPart3、何度も繰り返して読ませていただきました。言語の壁を乗り越えて心と心の通い合う、エキサイティングな交流が有ったとは
何て素晴らしい事でしょう!とても羨ましい!ジヤズマンの弾く
クラシックに少々偏見を持っていたのですが
チックのMozartの20番コンチェルトを聴いて考えを改めました。本当に素晴らしかった。
テクニックが凄いアーティストは掃いて捨てるほど沢山いますが、感動を与えてくれるアーティストは少ない!一度感動を与えてくれたアーティストの次回の演奏が期待はずれでも、「今日は体調が悪かったのかな?」位で許せちゃう。これって何なのかしらね。

IKEGAMI
2008年11月16日 13:15
そうですよね、クラシック音楽は昔からテクニック比べみたいなとこがあって、それは聴衆の責任でもあると思います。音大生なぞは楽譜を持ってきて、ジッとそれを追ってたりするんです。自宅でCDを聴きながらやってりゃあいいのに、なんで音楽が生まれて消えていく空間を受け止められないんでしょうね。
最近はジャズも「テクニックひけらかし」傾向があります。とくに若い白人ミュージシャン。ああ、お前はうまいよ、わかったよ、それがどうした、って言いたくなります。
もっとも可哀そうだなと思うのは、表現したい「サムシング」がないのに、テクニックだけつちゃって、自分は素晴らしい音楽家だと思ってる人。多いんですよ、この手が。

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