EMOTIONAL SKETCH 1 <WATTS TOWER>
LAの紹介をまとめているうちに、初めてぼくが海外に行った時の話になった。初めてのところに行く不安な気持ちを抱えたAndyさんや、LAに住んでいた無鉄砲な浪速のHIP-HOPヴォーカリストchi-Bさんのコメントにレスしてると、記憶の中に現在時制がスリップ・インし、あれが30年も前のことだったなんてとても思えなくなってくるのである。
ぼくが学生時代を過ごしたのは、60年代の後半。大学はバリケードで封鎖され、町にはヘルメットを被って機動隊と向かい合う「全共闘」の学生があふれていた。その是非を今ここで論じるつもりはないが、自分のポジションを見つけようとする欲望、権力に対する反抗の意志が生々しく沸きあがっていたことだけは確かだ。だから、少し前のアメリカの黒人暴動やパンサー党の活動、パリの学生叛乱などは他人事とは思えなかった。
そして10年。アメリカにJAZZを聞きに行く機会が訪れた。雑誌に音楽についての原稿を書いて生計を立てていたので、アメリカ、ヨーロッパのジャズ・フェスティバルをレポートして欲しいという仕事が舞い込んだのである。だが、ぼくの関心は商業的なフェスティバルよりも、生活の中で音楽がどのように機能しているかを感じてみたいというところにあったし、アメリカ社会のなかでスポイルされてきた黒人たちの「ブラック・パワー以後」を、この目でしっかり見たかったと言えるだろう。
フェスティバルでビッグ・ネームの生の演奏を聴くことは楽しい時間になるに違いない。だが、それ以上に黒人暴動の中心地であったLAのワッツ、NYの(厳密にはニュージャージーであるが)ニューアークとハーレム&サウス・ブロンクスいうスラムには行かなくちゃ旅の意味が無い、と思っていたのである。ワッツにはワッツ・タワーという変な建造物があるらしいということも、学生時代に美術雑誌で読んで知っていた。そのタワーはブラック・パワーの象徴のようなものなのだろうか・・・。なにしろ殆ど情報が無い。だったら、ぼくが行かなくて、誰が行く。
というわけで、LA在住日本人の「あんなとこ行ったら帰ってこれないよ。やめなよ」という忠告も無視して、ダウンタウンからバスを乗り継いでサウス・セントラルの103rd Street,Wattsに出かけて行った。確か3回ほど乗り換えたのだが、どこ行きのバスをどう乗り換えたのか、まったく記憶が無い。初海外旅行でいきなり黒人ゲットーに行く、というのでかなり緊張していたのだろう。
ベースのA.ラボリエルに似た黒人兄ちゃんに教えられたバスストップで降車。なんだか殺伐とした風景で、タワーなど何処にも見当たらない。10年以上前に雑誌で見たサグラダ・ファミリア教会のようなワッツ・タワーは、いったい何処にあるというのだ?体の厚味がぼくの倍くらいありそうなオバチャンが歩いてきたので聞いてみた。
「ほら、あそこよ」というので、そっちを見たら、あった!住宅の屋根の向うに、塔の先端部分がのぞいているのだ。記憶ではエッフェル塔とまではいかないものの、堂々としたタワーが建っていると思っていたのに、実物はこじんまりとしたものだった。だが、近くに寄ってみるとかなり大きな塔であることが分かる。(もっとも高い塔は約30メートルの高さ!)バルセロナのサグラダ・ファミリア教会を思い起させるデコラティブなデザインで、廃物ガラスを利用した台座のコラージュが美しい。
なぜこのような塔が、なんのために、LAのスラムにあるのだろうと思い、囲われた塀に埋め込まれたパネルの解説を読んで驚いた。ワッツ・タワーは一人の建設作業員が独力で作ったものなのである。その人の名はサイモン・ロディア。イタリアで生まれ、後にアメリカに渡り、各地の建築現場で働きながら生計を立てていたそうだ。そして1921年にLAの貧民地区ワッツに小さな三角形の土地を購入し、「私たちの街」と題したタワーの建設をスタートする。約30年間、建設作業員の仕事を続けながら、彼はコツコツと「作品」であるタワーを作り続けた。そして1954年、タワーを完成させると「作品」を隣人に譲り渡し、ワッツを去ったのだ。以後、サイモンはタワーの関わることも、創作に戻ることも拒否したが、病床でワッツの人々が「作品」を賞賛していることを知り、静かに微笑んで息をひきとったそうだ。
要するに、ワッツ・タワーはサイモン・ロディアという無名のインデペンデント・アーティストの彫刻作品であり、かれがアメリカという土地に生きた証明のようなものなのだ。タワーそのものも素晴らしかったが、それ以上にサイモン・ロディアの「志」に出会えたことが嬉しかったと言えるだろう。ぼくは、タワーの下にたたずみながら、「人の創造とは単独に始まり、単独に終わることを基本とする」ものだとしっかりと確認させてもらえたのだった。創造とは孤独で、はかなく、美しい行為なのである。
この記事へのコメント
だからなのか、ショートカット系国家のくせしてこの国の土壌には色んなジャンルにおいて、ブレイクスルーをやってしまう程パワーを持ったアーティストやミュージシャンが育つのでしょうか?
日本ならそんな“意義深い”が“無名”の建造物など区画整理だの再開発だのといった阿呆らしい行政的画一化のもとに木っ端みじんにされてしまってるんでしょうネ。
ぼくはヘルメットを被って「アメ帝打倒」とやってた世代です。様々な意味で反アメリカでした。でも、あそこに生きるマイノリティーたちのパワーには強く共感してきました。その音記号としての具体的な象徴がジャズです。(音楽それ自体が、体制-反体制というような構図をこえていますが…)
そんなぼくが76年にはじめてアメリカに行って感じたのは、「ここは錆付いたヨーロッパ文化に風穴を開ける場所なんだ!」ということでした。そんなわけで、自分の中のアメリカはいまだに愛憎が複雑に乱反射を起しています。
chi-Bさん、ぼくもLAライオットの日、現場にいました。そして77年のNYブラックアウトも。これは次にまとめます。LIVEどうだったのかなあ?これからそちらのブログのぞいてみます。
Toriさん、そうなんだよねえ。アメリカを語ることは難しい。だってBluesがあるんだもん。
私の通っていた大学はかなり学生運動がはげしかったところで。サークル棟の壁にはゲバ字で色々と書かれていました。
完全に一世代前なんですが、その熱気が少しだけ感じられたのも事実です。
時々、もし私があと15歳位年上だったら、どうしていたかな?って思います。
まずは、この話では今でもワッツタワーが残っている事に驚きます。日本とは色々な意味で違うんだなぁ。
それでも憧れと反発とが私の中には有る国ですね、アメリカ。(ハワイしか行った事無いけど)
で、今日はライブドアの市民ジャーナリスト(要するに素人です)の記事が気になりましたのでご紹介。
「アメリカの黒人はなぜ、ジャズを聴かなくなったのか?」
http://news.livedoor.com/webapp/journal/cid__2444422/detail
JAZZのライブハウスに行っても、白人(とアジア人、それって日本人?)ばかりだというのです(ほんとかどうかわかりませんが)。黒人はなぜJAZZを聴かなくなったて、これ、ほんとなのかなと思って、お伺いしてみることにしました(またまた、ここへの書き込みでいいかと思いつつ・・・)。
http://news.livedoor.com/webapp/journal
/cid__2444422/detail
URLが1列で納まらないようなので、2行にして再掲します。合成してください。
うまく飛べない(アンダーラインが短いもの2本分です)ので、ライブドアのホームから入る方法を書いておきます。
http://www.livedoor.com/
ニュース⇒ヘッドライン⇒ホットニュース
と進むとPJニュース(9月14日)のところに出ています。
暴動といえば、1992年のLA暴動はショックでした。少数民族どおしが暴力で応酬したのが辛い。アフリカ系は何故韓国系の商店を襲ったのか?発端は白人警官による黒人ドライバーへの理不尽な暴力だったのに。有色人種対有色人種で喧嘩して喜ぶのは保守的で差別の好きな白人だけなのに。
暴動の後、ICE CUBEは韓国系をからかうようなラップを歌い、スカパンクのスカンキン・ピックルの韓国系ボーカリストMike Parkはアイス・キューブを批判する曲を書いた。僕はマイクを支持するけど、あの暴動の本当の原因は何だったのか。いまだにわからない。
92年のLA暴動の時は、現地に居ました。黒人が韓国系の商店を襲い、自衛の韓国人(或いは韓国系アメリカ人)が家の屋根から襲撃者をバンバン撃ってました。マイノリティのひとりとして言い様の無い悲しさに襲われました。
暴動のきっかけは、確かに白人警官による黒人に対する暴力です。それを契機として、黒人が韓国系商店主に対して日常的に持っていた反感が爆発した、というのが暴動のプロセスにあると思います。
1年に500mから1km延びて行くといわれる韓国人街。「あいつら俺たちの街をハングルで埋め尽くし韓国にしちゃうんだぜ」という言葉が、黒人たちからよく発せられます。「あいつら白人から儲けずに、手っ取り早いおれたちのエリアでアコギな商売するんだ」とも。(続く)
こうした黒人の韓国系に対する反感は、八つ当たりに近い。それこそ「手っ取り早い」ところに反発する感じです。ホントは大規模な搾取をしている白人支配階級に、その反感はむけられるはずなのに。このあたりがマイノリティにありがちな、偏狭で単純な感情なのです。
NYの停電の時に、ハーレム近くでブラック・オーナーの店から略奪したのも黒人でした。貧しくとも知的にならなきゃいけないのに、頭のよい黒人は白人に奉仕する国務長官になったりするからなあ。なんとも言いようが無いのです。
韓国系二世の人気女性漫談家マーガレット・チョーのDVDの特典映像に「黒人と韓国人が仲良くする方法」というアニメが入っています。アニメで互いのマナーやコミュニケーションの方法について解説している。ここまでしなきゃならないのかと驚きました。当時のマーガレット・チョーのダンナさんは黒人でしたから、こういうアニメを作ったんでしょう。うーん。
ぼくの「MAX at YATSUGATAKE」は間もなくアップさせていただきますので、お待ちください。(最近、犬の話が少ないって言われてますからねえ)
asianimprovさん、「Do the Right Thing」やっぱり悲しい映画だよねえ。うーん。