池上比沙之のThings what I feel

アクセスカウンタ

zoom RSS 素人の時代

<<   作成日時 : 2009/09/18 14:30   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 0

画像

衆議院選挙の翌日、台風のためMAXの散歩にも行けないのでテレビをONしたのだが、どの局も民主圧勝・自民惨敗の番組ばかり。チャンネルを変えていたら『CHANGE』の再放送をやっていた。木村拓哉主演のこのドラマは、政治嫌いの国会議員の息子が親の死によって選挙にでることになり、当選してしまうというタイムリーな内容。ドラマはコメディー仕立てで、彼はあれよあれよと言う間に党の内部事情で総裁選に担ぎ出され、これまた勝ってしまう。ということは総理大臣になるということで、かくしてキムタク総理は政治のド素人が党内の駆け引きや違法献金問題に巻き込まれるのである。どこかで聞いたような、かなり生臭い話だったりするのだが、他のチャンネルでやっているホンモノの政治劇がもっと生臭いのでつい笑いながら最終回を最後まで見てしまった。

この再放送を見ながら、日本の選挙がメディアの力による「人気投票」になっちゃったのはいつからだろうと考えてみたのだが、どうもはっきりと思い出せない。選挙結果がメディアの露出度に左右されるのは世界のどの国でも当たり前のことで、ぼくが幼いころには新聞の論調が大きな影響力を持っていた。それが何十年か前からテレビにとって変わられたのである。
テレビのバラエティ番組の視聴率が高くなってからは、まるでゲームをするかのような感覚で投票する「劇場型選挙」が加速したことは明らかだ。「おもいっきりテレビ」を毎日見ている主婦層の多くは国政に「実利」を求め、「笑っていいとも」を見ている人たちは政治家に「かっこよさ」や「面白さ」、「話題性」を求める。そのどちらも、人が明日生きていくための価値観とか、国際的な使命などという「ややこしい」こととは程遠い理由で誰に投票するかを決めているようだ。最近では選挙のたびに、「ポピュリズム」ここに極まる、という絶望に近い気持ちにさせられてしまうのであった。
だが、よく考えてみるといつも同じことを繰り返す手慣れた「玄人」、「プロ」よりも、多くの視聴者にはその道の定石やルールを無視する「素人」のほうが一見は新鮮に映るようだ。要するに、「プロ」は「かっこ悪い」スタイルの代名詞のようになってしまったのである。例えばスピーチ。かつて演説は弁論部の大仰な語り口のようなものや、立て板に水という話し方がうまいと言われてきた。現在はと考えると、こうした「うまい演説」は、若い世代のひとにとっては、むしろ嘲笑の対象でしかないだろう。だからその反動として、小泉純一郎のようなワンフレーズ・スピーチやおちょくり答弁が、内容のあるなしにかかわらずもてはやされてしまうのである。

こうした現象は政治の世界に限ったことではない。テレビ番組や音楽の作り方などは「ポピュリズム=衆愚」そのもの。売り物の「芸」がないことが「売り」になって笑いをとるような番組が多いし、学芸会の小学生のほうが上手いとしか言えないような「歌手」もいる。そういう「素人」を出したほうが視聴率が取れるものだから、番組の制作者は似たようなバラエティを次々に作るのである。
「ポピュリズム」全盛の流れには「玄人」の怠慢が作用しているということもある。苔が生えたような、あるいは淀んだ水のようなものよりも、どういう展開になるか想像もつかない「素人」のほうが刺激的だし、可能性だってあるだろう。今回の衆議院選挙は表面的にはこの「素人待望」の結果がでたのではなかろうか。

こう考えているうちに、これはかなり危険な兆候ではなかろうかと思えてきたことがひとつある。それはメディアに対する盲信だ。歌謡番組やバラエティ番組に人気タレントの露出が多くなるのは、視聴者の要望に応えるテレビ局の当然の成り行きなのであるが、そうした流れが報道番組にまで入り込むことは勘弁していただきたいものだ。覚せい剤の使用で捕まった酒井法子保釈時の報道に、いまこんなネタがトップで流れるのっておかしいんじゃないのと思われた人はいないものだろうか。政権交代で日本が大きく変わろうとしているときに、元アイドルのドラッグ騒動がニュース番組のトップで、ヘリを飛ばして生放送することを恥ずかしいとも思わないキャスターをぼくは信用などしない。
さらにぼくを不快にさせてくれるのは、バラエティ番組のNEWS紹介のような、ちょっと見には報道のようなコーナーで、タレント司会者が衆愚感覚を代弁するようなコメントを加え、とってつけたような道徳観を振りかざすことだ。さらにタレント予備軍のようなレポーターが、したり顔で容疑者の親や兄弟を詰問する姿には辟易させられるのである。

タレントが捕まった、結婚した、どうしたこうした、というメディア露出だけを取り上げればまあたいした罪はないが、こういうポピュリズム万能のテレビ局の報道によって、内容のいかんにかかわらずそれが「素晴らしいこと」だと勘違いする人々を増加させているのは、いまも続く「小泉人気」を見れば明らかだ。小泉純一郎は自民党をぶっ壊したのではなく、日本を壊したということが露出度によってマスキングされてしまったのである。
では、新聞や雑誌というメディアがテレビ局より真面目に報道に取り組んでいるかというと、これもはなはだ心もとない。例えば、最近よく指摘されるようになった「記者クラブ」なるものは、記者の怠慢を助長するだけの「お仲間利権確保システム」だし、情報源の検証もせずに書かれた記事が多いのだ。
だって、核機密の問題にしたって政府がずっと嘘をつきとおしたわけで、白々しく「そういうことはありません」と記者会見で言っていた人が何の責任もとらず、その責任を追及しないメディアに囲まれてぼくらは生きているのである。

ではいったいどうしたら、ホントのことをしることができるのだろうか。それには自分の知識と感覚を鍛えて、より多くのインフォメーションを持ちながら判断するしかないのである。
その総和が間違ったものだったら? 日本人として生まれたことを悔やんで生きるしかないだろうな。だって、日本は民主主義国家なんだもの。

















テーマ

注目テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
素人の時代 池上比沙之のThings what I feel/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる