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これまで「日録」というカテゴリーで、日記風に日々の記録をしようと思ってやってみたのだが、どうも「日記」というのは小学生の頃から肌に合わない。夏休みの絵日記だって最後の2、3日で必死にまとめ書きしたくらいだ。 7月、8月の日録を読み返すと、ほとんど犬日記である。まあ、MAXの飼育日記と考えればいいのかも知れないが、もう少し自分の想像力衰退を食い止められるものにしたいので、「日録」は発展的解消!もともと、「ランダム・ダイアリー」は思いつくままに書くスペースにと思って作ったカテゴリーなのだから、こちらをあまり重くせずに再稼働させることにしよう。 というわけで、今日は昔話をちょっと。 このところ政府自民党が新聞ネタを毎週のように提供してくれるので、いきおい新聞を隅まで読んでいる。うちは朝日なのだが、ぼくは夕刊の小さなコラム「素粒子」が大好きだ。新聞らしからぬ結構ブラックなユーモアのセンスもあって、笑えるのである。「素粒子」は最後に必ず俳句が一句紹介されていて、安部辞任表明の直前、9月10日の俳句は、 「この夕べ力つくせり法師蝉」 森澄雄 であった。この俳人、実はぼくの通っていた高校の教師なのだ。父が俳句を作っていたので、森澄雄が加藤楸邨が主宰する同人誌「寒雷」の編集長をしている俳人であることは知っていた。だが、学校で飄々と世界史を教えている三木のり平に似た(本人は「似とらん!」と否定していた)森澄夫(こちらが本名)先生と「寒雷」の森澄雄が同一人物だとは思いもよらなかったのである。 都立豊島高校では生徒会が1年に1回、小さな雑誌を出していたがそこに教職員の俳句を掲載する見開きページがあった。そこに「澄雄」の表記の句が載っていた。 「父の死顔そこを冬日の白レグホン」 「月赤き野分や心父による」 これを見たぼくの父は、「やっぱり寒雷の森澄雄だよ。句の発想が人生派三羽烏のひとりである楸邨を支えた編集長・森澄雄そのものだ。他の先生に聞いてみればわかるよ」と言うのだ。担任が国語の教師だったので聞いてみると「そうよ、森先生は有名な俳人。そうは見えないけどね」とのことであった。 そこで、ぼくは中学生の頃に作った自分の句を手に、社会科教務室の森先生を訪れた。 「おー、なんじゃ。俳句作るのか。いいよ、見てあげるよ」 気さくにぼくの句を批評・添削してくれたのだった。 「そうか、オヤジが句を作っとるのか。誰のところぞ?」 松村巨楸だったと思いますと答える。 「そうか、『石楠』か。まあ、あそこはみんなオーソドックスだわ。ぼくはもう少し生々しいな」 そこで、混ぜ返した。 「なにしろ白鳥俳句ですからね、先生は」 すると森のり平先生はガハハと笑い、 「1年坊主から白鳥俳句なんて言われると思わんかったなあ!」 以後、ぼくは一度も授業を受けていないこの教師に目をかけてもらい、何度も東大泉のお宅にお邪魔させていただくことになった。 「除夜の妻白鳥のごと湯浴みおり」 と詠まれた白鳥夫人のシュークリームをご馳走になりながら、人生派(中村草田男、石田波郷、加藤楸邨は三羽烏と言われていた)俳句の魅力と表現の可能性とかを教えていただいたものだ。あるときは授業中の教室に突然入ってきて、ぼくの席に。小声で「きょう島尾(敏雄)が来るから、きみもうちに来い」と言うのだ。 こんな出鱈目なことが許されたのは昭和30年代という時代によるものか、それとも豊島高校のリベラルな校風ゆえだったのか。旧府立第十高女だった豊島高校には美しい畳敷きの作法室があったのだが、終戦直後に奉職した森澄夫先生は何人かの教師とそこを仕切って暮らしていたのである。隣りの仕切りで暮らしていたのが国語の福田先生(詩人の那珂太郎さんである)。毎晩のように文学論を交わしていたそうだ。後年、那珂さんと会った時に森先生の生徒ですと言ったら、瞬間、優しい目となって「そうだったの。ぼくが転任してからの生徒なんだね。うーん、みんな貧しかったけど楽しい日々だったなあ」と、豊島高校時代を懐かしんでおられたのだった。 思い返せば、ぼくほど師に恵まれた人間はいないのではないかという気がする。高校に入ったら森澄雄がいて、大学に入ったら粟津則雄、宗左近(古賀照一)、山本太郎(若手俳優の太郎ではない。故人となった詩人である)という碩学から直にいろいろと教えていただくことができたのだ。 仰げば尊しわが師の恩、なのであるが、その恩に報いることを何一つしていない自分をちょっとばかり反省する暑い夏である。 |
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| 内 容 | ニックネーム/日時 |
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うわぁ、いきなり 文學少年成長日記になってるっ! |
torigen 2007/09/17 11:41 |
いつの間にか、皆と同じことをするのが良いこととなって、そこからOUTしてる者がいじめのターゲットになっちゃった。ぼくが子供の頃だって、学校や政府や法律は「同じこと」を強いてきました。でも、少なくともそれに逆らうことが「カッコイイ」ことでした。そしてそのフリクションが、 |
IKEGAMI 2007/09/17 12:09 |
私、IKEGAMI様の後輩になり損ねたようです。 |
chobimama 2007/09/19 20:00 |
Toriさん、chobimamaさん、いらっしゃいませ。 |
IKEGAMI 2007/09/20 00:36 |
(続き) |
IKEGAMI 2007/09/20 00:38 |
さすが、ご存知でしたか。そうでございます。先生の最初のゼミ生でした。結婚式で歌って下さいね♪って固く約束して卒業したのですが、縁だか運だかに見放されたのか、はたまた努力やら魅力やらが足りないのかで未だ歌って戴いてません(苦笑) |
chobimama 2007/09/22 14:16 |
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