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zoom RSS ぼくと犬との物語 7

<<   作成日時 : 2006/03/09 21:32   >>

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(ホントはジャズのほうを書こうと思ってたんだけど、リクエストに応えてNo.7を!)

人間には抽象化能力というものがあり、さらにそこから一挙にジャンプする想像力を備えている。「経験しなければ分らない」と能力不足を正当化する人もいるが、それは裏返せば「経験したことしか分らない」ということなのだ。ほら、外国に住む日本人で「こっちに来なきゃ分からないよ」と、ただ住んでいるだけなのになにかとてつもなく素晴らしいことをしてるみたいに錯角してる人がいるでしょ。確かに行ってみなきゃ分からないこともあるが、この情報が溢れた時代、日本にいて外国の「大枠」が分からないような人は、行ったって分かるもんか。
だが、「分かる」主体が犬の場合は、やはり経験が物をいう。家の近所の道路を歩くだけでは、銀座や池袋の雑踏を想像することは出来ないだろうし、隣りのオバサンの前でお座りするだけで(しないよりましだが)、乳母車にのった幼児や車椅子の老人の前でどうしたらよいかを類推することは、まあほぼ不可能だろう。だから、MAXには数年間、あらゆる日常生活の局面を経験させてあげようと思ったのである。そのために自分の仕事が多少不自由になったって、たいしたことじゃないさ。どうせ豆腐業界におけるオカラの売り上げみたいな、音楽業界のジャズ部門じゃないか。
というわけで、ぼくとMAXは町を彷徨い出すことになった。この行動のお手本は『ヘンリー、人を癒す〜心の扉を開けるセラピー犬』(角川文庫)の山本央子さんである。ニューヨークに住んでシェルターから犬を引き取った山本さんが、どうやってヘンリーを素晴らしいセラピー犬にしたかを書いた本なのだが、彼女はまず「イチニ、イチニ」と声をかけ、ヘンリーと町をやみくもに歩くことからスタートしたのだ。家の中では中西さんの指示を守り(なるべく・・・)、朝と夜はぼくの横に付いて歩かせる。道を歩いている時も、突然「待て」といったり、「急げ」といったり、ときには信号もないのに「待て、座れ」。だれも来ない道の真ん中で「待て、伏せ」をさせたりもした。ただし、夕方だけは近所の犬仲間との楽しい時間を持たせてあげるのだ。当時、ぼくらが外に出ている時間は平均で5,6時間だったと思う。
それから2週間後、中西先生のセッションの日となった。MAXはかなりの変化が見えてはいたが、基本ルールを守れないぼくら夫婦を見透かしたように、散歩を察知すれば「早く、早く」と吼えていた。(これ以外ではほとんど吼えるので困った、といのはなかったし、甘噛みの時期も終わっていた)
「じゃあ、今日は外に出てみましょう」
と、中西さんが言うだけで、もう尻尾はブンブン、息はハーハー、加えて連れてけワンワン、である。そこで、中西メソッドによる指示。椅子に繋いで、吼えが収まるまでドアを閉め、部屋の外に出ているという躾けである。ぼくらが外に出ると、MAXはいっそう激しく吼える。吼えが収まった時にそっとドアを開けると、待ってましたとばかり吼え出す。また外に出る。やっと、吼えなくなったMAXにリードを繋げたのは、40分後であった。
「おー、随分頑張ったね。私が手掛けた犬のなかでもベスト5にはいる頑固な犬です」
(この方法を2,3日続けたら、MAXは「散歩に連れてけ」と吼えることはピタリとしなくなった。群の生き物である犬にとって、独りにされることは叩かれるより嫌なことなのだ。たまにやっていた「飛びつき」も、後ろを向かれ、目を合わすことさへされなくなるという方法でやらなくなった)
道に出る。100メートルほど歩き、横道に入ろうとすると、案の定、「そっちは嫌」と座り込む。中西さんの指示は、
「はい、引きずってでも飼い主の言うことを聞かせてください」。
そこで、最初のセッションの時にお願いしてあったハルティ(いわゆるジェントル・リードである)を付けてみる。おー、おー、抵抗しとるぞ。犬にとってマズルを押さえられるのは致命的。もう飼い主に従うしかないのである。右に左に逃げようとするMAXを、大先生はリードをぎゅっと垂直に引き上げ黙らせ、従わせた。スゲエ。
「私は慣れてるから、すぐに従いますが、パパがリードを持つともう一度抵抗します。その時には絶対に負けないで下さい」
中西さんによると、このリードを使って歩けば1ヶ月くらいできちんと横に付いて歩けるようになり、加えて日常生活で主従関係が出来上がれば、ノー・リードでも平気になるそうだ。ただ、これをつけて歩くと「あれ、あの犬噛むみたいよ」という視線が向けられる。これは結構きついんだな。わざわざ「噛むんですか?」と聞いてくる人さへいるのだ。あー、ヤダヤダ。
そして、マーキング。犬が臭いを嗅ぐのは一種の情報収集、というのを読んでいたのでどうしたもんかと思い、大先生に相談。
「臭いを嗅がせれば、100%マーキングします。とくにMAXのように去勢してない犬はね。だから、臭いは極力嗅がせないほうがいいでしょう。排泄は1時間の散歩で、1回か2回、決められた場所か飼い主が許可した場所でさせましょう。そうすれば、ジャーと一度にオシッコをするようになるし、ウンチのほうもそこでするようになります」
この時期、MAXは家のトイレで排泄していたのだが、10ヶ月頃から家の中では一切しなくなってしまった。一時は何とかしようと思い、するまで出さないと我慢比べしたのだが、24時間我慢というのを何回かやられ、こちらが根負け。庭でもしないものだから、雨にもマケズ、風にも、夏の暑さにもマケズ、寒さの冬はオロオロと排泄のための散歩をするハメになってしまった。これは、いまだに後悔し、反省している。現在は、週に2,3回、臭い嗅ぎとマーキングをさせない歩行をしているが、許せば電柱ごと、臭いのついた所はすべて自分の臭いをつけて歩こうとする立派なオトコとなってしまった。(臭い嗅ぎとリードの持ち方については、いまだに世帯主と意見がぶつかる夫婦喧嘩ポイントである)
中西さんは、「MAXくんはまあ問題行動も少ないし、私の指示を守って躾けをすればいい子になりますよ。何か問題があったら、メールででも相談してください。そのつどお答えしますから」とぼくらを元気付けてくださり、セッションは2回で終了となった。
ぜひ紹介したいのは、この人のセンス。「私、指導した犬を壊す(問題行動犬にもどす)のは定評があるんです」と豪語し、ご自身のHPで「してはいけないこと」を書いてある横に、いけないことをしている犬のモデルとして自分の愛犬たちを使っているような、ユーモアの持ち主なのだ。犬をソファなど高いところに登らせない、という項目の横の写真キャプションはなんと、「我が家のソファは犬たちに占領されました」だぜ。さらに、基本ルールについて「理想の関係が出来あがってしまったら、ひとつも守らなくて大丈夫です」だって。こういう人に、訓練ではない躾けを学べたぼくらはラッキーだったと思うのだ。
さて、ぼくらはというと、MAXの躾けと併行して、彼にセラピー犬のトレーニングをさせたいと思うようになった。ボンヤリしたMAXだったら、お年寄りや子供、障害を持った人と幸せな時間を共有できそうだと感じたからだ。そこで、栃木県にある知的障害者の施設に行って、まずは経験を積んでみることとなった。(写真は、その時のもので、成人した自閉の園生との触れ合いを映したものだ)
No.7、ちょっと長くなったので、この話は次回に。



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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
相変わらず、語り部ですなあ。
世帯主
2006/03/10 02:07
「訓練ではない躾け」
これは、飼い主自身に向けられた言葉ですね。
人権ならぬ犬権。それを世の中に確立してあげるられのは、やはり飼い主のマナーとモラルの問題ですね。簡単なようだけどなぁ〜。
きりん
2006/03/11 09:10

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